核兵器廃絶運動の源流は、1955年のラッセル・アインシュタイン宣言とされる。英国の哲学者ラッセルが提案し、物理学者のアインシュタインや湯川秀樹ら10人が連署した

 きっかけは、前年に米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験だった。宣言は、核戦争に勝者はなく<人類に終末をもたらす>と警告し、<多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく>と続けた

 これを受けてできたのが、パグウォッシュ会議である。各国の科学者が、核廃絶に向けて話し合う国際会議だ。冷戦終結や核弾頭の削減などに一定の影響を与えたとして95年、当時の会長と共にノーベル平和賞を受賞した

 核兵器を生んだ科学者が、廃絶の先頭に立つ。皮肉な話だが、怖さをよく知っているからだろう。それでも体験は知識に勝る。命を削るように語ってきた被爆者がいなければ、これほどの共感は得られなかったに違いない

 「私が、がれきの中で聞いた声を繰り返します。諦めないで。光に向かって、はい続けて」。オスロであったノーベル平和賞の授賞式で、サーロー節子さんはこう呼び掛けた。あの日、広島で家族と大勢の級友を亡くした

 サーローさんは、核兵器禁止条約が「光」だという。目をそらさないで。訴えは「核の傘」の下にある私たちにも向けられている。