忠さんは、二等水兵で海兵団へ入ったが、もう乗る軍艦もないんで、毎日、防空壕(ごう)掘りや、油を取るため松の木を切る作業に引っぱり出された。毎日、自分の息子のような班長に樫(かし)の棒でお尻を叩(たた)かれ、ビンタをとられた(阿波の民話 578回)

 1945年8月15日、敗戦。39歳の「老兵」は、満員の復員列車に乗りきれず、しがみついていた汽車の屋根から転落して人生の幕を閉じた。魂となって郷里へ戻り、実家の戸をトントンと叩くのだが

 華々しく散った「英霊」が枕元に立った、といった話は多い。あえて何かをなしたわけでもない「忠さん」を選んだのは、庶民の歴史を追った湯浅良幸さんらしい。平凡な人間が強いられた理不尽な死。その集積が戦争だ

 湯浅さん自身、14歳で特別年少兵として海軍に入り、苦労を味わっている。無数の忠さんの無念を思い、反戦平和に軸足を置いた戦後。同じ悲劇を二度と繰り返してはならない。年齢を重ねても、取材に執筆に講演に、そんな執念がにじみ出たような仕事ぶりだった

 訃報が届いた昨日、「おーしまい」の結びが印象的な本紙地域面の連載「阿波の民話」は3937回目。節目の4千回まで書き終えての旅立ちだという

 古里を愛し、その未来に幸あれ、と語り続けた郷土史家。最期まで、真っすぐに、ひたむきに生きた。