正月には決まって岡山県の国立療養所「長島愛生園(ながしまあいせいえん)」を訪ねる。島を包む初春の光が好きだ。瀬戸内海がきらめいて、実に穏やかな気分になる
年の離れた友人がいた。2001年5月、ハンセン病国家賠償訴訟で、熊本地裁は国の隔離政策の誤りを断罪した。「その時、地裁で握手したんだよな」とか思い出しつつ、車を走らせる
島に入れば国立療養所「邑久光明園(おくこうみょうえん)」。愛生園まではまだ3キロ余りある。友人が入所したのは戦前、小学生だった。「来るなり先輩患者から脅された。ここは病気を治すところやない。患者を集めてぼちぼち殺すところや」。もちろん、薬のなかったころの話である
光明園の信号を過ぎて、海に沿って少し。小山をかわし、橋を渡れば愛生園だ。ツタの絡まる歴史館の下を直進すれば、患者が手作業で切り開いた道、さらに高校の跡。ひときわ高い万霊山納骨堂。故郷へ帰れなかった大勢の仲間とともに友人は眠る。山を下れば、幼い子どもも渡った戦前の桟橋跡
「古里や家族を奪われ、長く差別されてきた。それでも裁判に勝ち、名誉回復も進んだ。だから、わしらはもういい。この社会には、まだまだおるだろ、日の当たらない人が」
ここを訪れるたび、友人の口癖がよみがえる。「光の届かない所に光を」。背筋をピンと伸ばし、再び瀬戸の海を見る。
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