痛みがあっても、こちらへ向き直ると笑っている。リウマチに苦しんだ母親も同じだった、と親族の人が教えてくれた。進行するまひと闘いながら絵を描き、歌を作り、数々の賞を受けた関政明さんが亡くなった
東京で画家として世に出る直前の1974年、25歳の時、脊髄腫瘍を発症した。入退院を繰り返し何度か大きな手術も受けたものの、次第に体の自由が奪われていく。83年、郷里小松島の障害者施設に入った
何ができるか。思案の先に絵画と詩歌があった。穏やかな表情の奥には、あらがいがたい運命を背負った悲しみも宿っていたのだろう。時に激しい歌を詠んだ。<「動かんのか、こんなにしても動かんのか」わが麻痺(まひ)の脚を父が揺さぶる>(歌集「走る椅子(いす)」から)
心の奥底にある悲しみから立ち上ってきたのは、命に対する優しさだった。それを言葉にし、絵画にした。ちっとも肩に力を入れることなく、しなやかにこなしていたようにも見えたけれど、どれだけ大変なことだったか
雨が通り過ぎた後の「道」を好んで描いた。森を抜ける道、刈田の深いわだち。道の向こうには光があった。「やっぱり、先には希望がないと」
<時間とは過ぎゆくものにあらざりき使ひ拓(ひら)きてゆくものならむ>。諦めたら諦めただけの人生しかない。生きる勇気を示した69年だった。
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