熊本県水俣市の支援施設「ほっとはうす」で、水俣病の胎児性患者の声を聞いたことがある。語ってくれたのは50歳すぎ、車いすの男性だった
 
 「恨みというのはありません。恨んでも仕方がない。ただ、病気でなかったら、どんな人生があったのだろうかと、たまに思います」。夜のアパートで、奪われた未来を探す時の男性の心境を想像し、胸が詰まった
 
 原因企業のチッソが垂れ流したメチル水銀が、美しい海を汚し、そこで生きる人々の命をむしばんだ。生まれながらに体の自由を奪われ、言葉さえ奪われた人が大勢いる。水俣病が公式に確認されて、既に60年余りがたつ
 
 悲しみを語ることすらできずに逝った被害者の心情をすくい取り、文章を紡いでいったのが作家の石牟礼(いしむれ)道子さんである。代表作の「苦海浄土(くがいじょうど)」で、水俣の実態を知らしめた
 
 自然との関係を忘れ、お金に支配された近代とは何か。「水俣病は次の文明に進むための人柱だった。この世のものとは思えない声や姿で死んでいった人のことを思うと、涙が出る」。なのに、この国はどこまで落ちていくのか。亡くなるまで「近代」を告発し続けた
 
 胎児性患者・坂本しのぶさんの母フジエさんは惜しむ。「あげな偉い人、もっと長生きしてほしかった」。日本の近代が始まった明治維新から、今年で150年になる。