現行憲法下で初めて即位した天皇として、「象徴」のあるべき姿を追い求め、それを体現した30年だった。

 天皇陛下がきょう、退位される。

 「地平らかに天成る。内平らかに外成る」|。元号に込められた願いとは裏腹に、相次ぐ災害、経済的な苦境と、平成は激動の時代だった。そこにあって陛下は、一貫して平和を希求し、苦しむ人々の傍らに寄り添い続けた。

 国民統合の象徴として、常に国民とともにある。「侵すべからず」の権威を求める声もある中で、水と油の関係ともいえる君主制と民主主義の接点を、そこに見いだしたのだろう。

 「象徴天皇とは何か」の問いに、鮮やかに答えたのが1991年。天皇として初の被災地訪問となった雲仙・普賢岳噴火(長崎県)で、地元住民を見舞った時のことだ。

 避難所の床に膝をつき、穏やかな表情で語りかけた。今でこそ当たり前となったが、当時は「陛下という立場の者がするべきではない」と批判を浴びた。

 阪神大震災、新潟県中越地震、東日本大震災、西日本豪雨・・・。うち続いた災害で、皇后さまと共にこのやり方を貫き、国民の共感を呼んだ。退位の意向をにじませた2016年のビデオメッセージではこう述べている。「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました」

 国内各地で開かれた式典や会合、障害者や高齢者施設も積極的に訪問。天皇即位後、初の地方公務として訪れた徳島県をはじめ、全国を巡る旅は17年、2巡目を終えた。

 戦争犠牲者を慰霊し、平和を願う。これも陛下が大切にしてきたことである。

 戦後の節目節目には「慰霊の旅」として、広島や長崎、沖縄といった国内はもとより、米自治領サイパンやパラオ、フィリピンにも足を運び、日本人だけでなく、全ての犠牲者を追悼した。

 「行動してこその象徴天皇」。平成の30年で陛下が確立した新しい天皇像は、国民の間に広く認知されたといっていいだろう。しかし、これは同時に危険もはらむ。天皇個人の資質が極めて問われるスタイルだからだ。

 天皇制の安定的な継続といった面からは、「存在しているだけでいい」という考えも成り立つ。だが、もはや国民は納得するまい。

 江戸時代の光格天皇以来、202年ぶりとなる退位は、自らに課した象徴としての務めが全身全霊で果たせなくなったと自覚したためだ。

 高齢となった天皇の在り方はどうあるべきか。次代を担う皇族の減少をどうするか。天皇制は今、大きな曲がり角にきている。

 皇室典範特例法は一代限りの退位しか認めていない。陛下が発した問いに、どんな答えを出していくのか。主権の存する国民が解決すべき、重い宿題である。