谷久米吉さんのことを思い出している。2003年、小松島市の自宅で亡くなった。112歳。当時、男性で国内2番目の長寿者だった。その関係で生前、何度か話を聞いたことがある

 最後に会った時だ。「裕福を望まず、無理をせず、自然に任せること。長生きはしようと思ってもできん」と、健康の秘訣を語っているさなか、突然、「うっ」とおえつを漏らした。一瞬あって言葉をつないだ。「二人も死なせてしまうとは、情けないことです」

 二人とは、日中戦争が始まった直後の1937年、中国大陸で戦死した長男と、太平洋戦争末期の45年、フィリピン・ルソン島でたおれた次男。半世紀以上も前のことなのに、悲しみは、繰り返しよみがえってくるのだという

 「何もしてやれなかった、やねこい(頼りない)、情けない親です」。戦争中に何ができただろうか。しかし二人を思い出すたび、自分を責めずにはいられなかった

 勝った負けたで済めばいいが、戦争は命の奪い合いだ。「子を奪われたわれわれの悲しみは、このまま消えてしまうのか」。日本人の記憶から、戦争が薄れゆくのを案じていた

 即位後朝見の儀での天皇陛下のお言葉に、「平和」の2字があった。そのことに心を砕いた上皇さまの思いを引き継がれる。時代は変わっても、忘れてはならない記憶がある。