淡路島で勤務する兵庫県職員が当時、こんな感想を語っている。「物資の多くが四国から。橋があって助かった。真っ先に水を届けてくれたのは徳島。衣食住、医療の全てでお世話になった」

 1995年1月17日に発生した阪神大震災で、大鳴門橋は命の道となった。港湾施設が打撃を受け、海上ルートが遮断されたためだ。県警や自衛隊、消防の、緊急車両のほとんどが、橋を通って淡路の救援に向かった。その数、3月までの3カ月間で約6千台

 橋が完成したのは、大震災からさかのぼること10年、85年のことだ。98年には明石海峡大橋が開通し、関西と徳島が陸路で結ばれて、行き交う車両は大幅に増加。34年の歳月を経て、通行台数は先月、2億の大台に載った

 88年に開通した瀬戸大橋よりはるかに多い。本州とつながる大動脈として、私たちの暮らしは、それ抜きではもはや成り立たない

 しかし収支をはじいてみれば「出」の方が多かった。この間、東京一極集中が加速し、人と富とが一方向へと流れている。ゆがみを正して「入」を増やせるか。橋を通る人や物の流れは、その時々の日本の姿を映す

 南海トラフ巨大地震の際には再び脚光を浴びるだろう。私たちの「命の道」。当たり前のインフラとして定着し、日々、そこにある大鳴門橋に、ささやかな感謝の言葉を贈る。