和歌山海上保安部で巡視船の通信士を務めていた1995年、阪神・淡路大震災の被災地に救援物資を運んだ。岸壁が崩れた神戸港で、水や食料を懸命にトラックに積み込むボランティア。その姿が今も脳裏に焼き付いている。

 当時の任務は、防災への思いを強くした。「近い将来、南海トラフ巨大地震が徳島を襲う。入念な対策が必要だ」。松茂町出身。東京、福岡、神奈川など各地で勤務し、経験を重ねた。徳島での勤務は初めて。「古里の海の安全を守りたい」と力を込める。

 巨大地震発生時は、操業中の漁船の避難誘導や、救援物資を積んだ船を受け入れる。このため、津波の漂流物で港の一部が使えない状況を想定しておかなければならない。「物資運搬船が安全に着岸できる代替地点について、県や漁協関係者と情報を共有し、物資の受け取り方法を協議したい」

 城北高時代、さまざまな知識を身に付けたいとの思いが募ったという。寮暮らしで自分を律しながら、法律や海洋学、電子工学などを学べる海上保安大に進学。卒業後は迷わず海上保安庁に入った。

 巡視船に乗り、他の船舶などと無線でやりとりする通信士を主に担当。海保大教官として、実習生と世界一周の航海に出たことも忘れ難い思い出だ。

 休日は神社や寺を徒歩で回り御朱印を収集する。「適度な運動で健康に良い。四国八十八カ所霊場も巡りたい」。小松島市の官舎で妻、長男と3人暮らし。48歳。