喜劇王のチャプリンが初めて日本に来たのは1932年5月14日。客船で神戸に着き、すぐに東京へ向かった。翌15日に犬養毅首相が官邸で歓迎会を開くことになっていた。だが、それは幻に終わる

 五・一五事件が起きたためだ。海軍の青年将校らが官邸を襲撃。犬養首相は彼らを応接室に招き入れて、「話せば分かる」と言論で解決しようとしたものの、「問答無用」と射殺された

 事件の首謀者は、日米開戦に持ち込もうと、チャプリンを狙ったとの説もある。卑劣なテロをきっかけに、政党内閣は崩壊。軍部の独走を招き、戦争に突き進んでいった

 事件から40年後の5月15日も、沖縄が本土に復帰した歴史的な日だ。五・一五事件を戦争の起点とするならば、沖縄返還は終点となるはずではなかったか

 しかし、沖縄には広大な米軍基地が残され、米軍機の事故や米兵の事件が繰り返される。普天間飛行場の辺野古移設問題では、県と国の対立が続いており、いまだ戦争の影を引きずっている

 五・一五事件の10年前に生まれた瀬戸内寂聴さんは、ずっと反戦を唱えてきた。安保法や辺野古の基地建設にも反対している。1日付の本紙でこう語っていた。「どうしたら戦争を防げるのか、生きてる人が知恵を絞らないといけない」。きょう、97歳の誕生日を迎えた寂聴さんの願いである。