文化財が数多くあり、「徳島の正倉院、法隆寺」ともいわれる丈六寺(徳島市丈六町)の二の門から、イノシシとみられる骨が出てきた。寺に口伝や史料はなく理由は謎だ。魔よけのまじないなど祭事に使われたとの指摘がある一方、動物の仕業との見方もある。古刹(こさつ)のミステリーとして、関係者の関心を集めている。
■■二の門の屋根裏に動物の骨■■
二の門は1820(文政3)年、参道に建立され、明治初期に再建。一の門と、県内最古の木造建築物の三門(国指定重要文化財)との間にある。江戸中期の16代住職凸巌(てつがん)養益が「丈六寺」と書いた扁額(へんがく)を掲げる。
2年前から修理中で、骨は阿南市内の建築士(67)が2016年12月、屋根裏の東南隅で前脚と後ろ脚の一部4点(全て直径4センチ、長さ17センチ)を、西南隅で前脚の一部1点(直径3センチ、長さ7センチ)と首の骨2点(直径4センチ)を確認した。他にバケツ約4杯分の土やごみがあり、他の動物とみられる骨などはほとんどなかった。
寺が徳島県警に鑑定を依頼し、若いイノシシかブタの骨と推定された。首には斜めの切断面がある。江戸時代から伝わるとすれば、当時、家畜のブタはいなかったため、寺はイノシシの骨と判断した。
■■魔よけのまじない?動物の仕業?■■
徳島県立博物館の民俗担当学芸員庄武憲子さんは、高知県仁淀川町でイノシシのひづめを切り取り、出入り口の戸袋などにつって悪魔払いのまじないにした事例を挙げ、骨に何らかのまじないの意味を込めた可能性を指摘。同学芸員の磯本宏紀さんも「骨の部位と大きさがほぼ同じで、固まってあった点で人為性が強い。ただ、他に祭祀(さいし)具がなく詳細は分からない」。
丈六寺顕彰会理事で郷土史研究家の高田豊輝さんは「火難水難よけを祈ったか、門を守る魔よけにした」と推測する。
こうした見解を疑問視する声もある。丈六寺の経蔵の解体修理に関わったことがある徳島市内の建築士林茂樹さんは「経蔵の屋根裏で動物の骨は見なかった。三門を解体修理した際に作られた報告書にも記録はない。二の門を建てた大工が厄よけなどの意味で置いた可能性が考えられなくはないが、それにしては数が多い。小動物が運んだ可能性もある」と推測。「イタチやテンは肉が付いた骨をくわえ、高さ数メートルの柱を登るのは簡単」と話すのは半世紀の狩猟歴がある阿波市内の男性(73)だ。
骨を見つけた建築士は「屋根裏でこんな大きな骨を見たのは初めて」と驚いており、「目立った穴はなく、数センチのすき間では骨をくわえて通れるのか」と首をかしげる。
とくしま動物園の飼育員も「普通、動物は現場で餌を食べる。運んだのなら、別の部位の骨や獲物にした他の生物の骨、ふんや毛が大量にあるのでは」。
丈六寺は福井県の永平寺を本山とする曹洞(そうとう)宗寺院。東京の同宗宗務庁は「何とも言えず、信仰なら地域で異なる」と話し、丈六寺31代住職の豊田靖匡さんは「全く謎」と苦笑している。