加茂宮ノ前遺跡から出土した石臼(右)と石杵(中)と磨石(左上)、辰砂原石(左下)

加茂宮ノ前遺跡から出土した石臼(右)と石杵(中)と磨石(左上)、辰砂原石(左下)

 徳島県教委と県埋蔵文化財センターは22日、阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で見つかった弥生時代中期後半~古墳時代前期初頭(1~3世紀)の竪穴住居跡の内外から、古代の赤色顔料の水銀朱(すいぎんしゅ)が付いた石器15点と、水銀朱の原料の辰砂(しんしゃ)原石10点が出土したと発表した。遺跡の南西約5キロには辰砂の採掘遺跡として全国で唯一確認されている若杉山遺跡があり、同遺跡に関連する水銀朱の精製工房跡とみている。

 辰砂は硫化水銀の鉱石で、これを原石から取り出して精製した水銀朱は、古墳時代初期を中心に棺(ひつぎ)内部や死者の体に塗るなどして使われた。防腐剤としての役目のほか、死者の魂を鎮める目的もあったとされる。

 出土した石器のうち、石杵(ぎね)8点(全長約10~23センチ)は辰砂を砕く際に使われ、磨石(すりいし)2点(10センチ四方)は擦りつぶすときに用いられた。石臼1点(縦20センチ、横17センチ)はその土台だったとみられる。それぞれに水銀朱が付着している。辰砂原石は全長2~5センチ。

 石器と原石は5棟ある竪穴住居跡のうち3棟の内部や周辺で見つかった。一部が埋まった状態で、捨てられたとみられる。精製に伴って出る石片などがないため工房は特定できないが、工房があった集落と断定した。

 弥生時代後期~古墳時代初期(3~4世紀)の若杉山遺跡からは、辰砂採掘に伴う石くずや精製用の石器が出土している。水銀朱は奈良や大阪など各地の有力者の墓で使われており、徳島産だった可能性があるが、出荷先などは分かっていない。

 センターは、若杉山遺跡に関連する新たな工房の発見が水銀朱の産地や製法、流通ルートを知る手掛かりになるとして「水銀朱の供給拠点としての徳島の役割を解明できるよう、今後も調査を進めたい」としている。

 25日午後1時から現地説明会がある。お松大権現の臨時駐車場が利用できる。問い合わせはセンター<電088(672)4545>。