徳島市出身のエルディング(旧姓森岡)純さん(48)がボーカルを務め、2002年を最後に活動を休止していた伝説的ロックバンド「GITANE(ジターン)」が、結成20周年を記念して17年ぶりに再始動する。20日に東京、27日に大阪でライブを行う計画で、既に東京会場のチケットが完売するなど大きな反響を呼んでいる。生活拠点のスウェーデンから一時帰国したエルディングさんが、活動再開までの道のりや思いを語ってくれた。

-GITANE再結成の経緯を教えてください。

 2017年末にベースの本田聡さんからメールで再結成の提案があって、18年夏に東京で3人で話し合って決めました。20周年の節目だということに加え、GITANEの楽曲や歌詞の世界、私の声を、今の時代に改めてどのように受け入れられるのか聞いてみたいというようなお話でした。今やっておかないと、年齢的にも再始動することは無理だろうという考えもありました。

 GITANEの退廃的なサウンドは、17年前も業界関係者からはすごく評判が良くて、ダウンタウンさんの番組に起用されたりしていたんですが、自分たちで言うのもおかしいですが、一般受けはそこまでしなかった。でも近年は、ビリー・アイリッシュに代表されるようなダークな世界観の音楽が流行していて、そうした風潮も後押ししたのかもしれません。

-純さんが書く歌詞は「ヘミングウェイのようだ」とも評価されていましたね。

 「PTON!」で歌詞を書いていた頃は、10代で思春期のありのままの感動や勢いをそのまま投影したポジティブな世界観でした。ソロ活動を経てGITANEを始めた頃には、私も人間的に成長して、挫折も味わっていたので、抑うつ的なところから生きる力を見つけ出すような歌詞を目指していました。1回全部壊して前に進む方が強いというか、一番大事なものを壊してでも前に行ける強さを追求したいという思いが込められていましたね。

-17年前に活動休止に至った経緯は。

 所属事務所の経営不振が大きかったですね。資金がなくてライブを開けなくなりましたし、3年間活動してある程度やれることはやったという思いもあって、1回止めようという話になりました。私も自分のレーベルでの活動もしたかったし、本田兄弟も他のミュージシャンのサポートなどで多忙な時期だったので、GITANEの歌詞と同じく、1回リセットして、壊して先に行こうということで一致しました。

 活動休止後もメンバー同士はお互いのライブに行ったり、一緒にご飯を食べたりして交流がありましたし、本田毅さんのCMプロデュースの仕事に呼ばれて歌うなど一緒にお仕事をすることもありましたが、ファンの方からの「復活してほしい」という声が耳に入ることはあっても「またいつかね」みたいな感じで現実的には感じてなかったです。私がスウェーデンに行っちゃったので、バンドとして活動できなかったということも大きいです。

-2007年にストックホルムに移住されたんですよね。

 原田知世さんの楽曲にコーラスとして参加させていただいた関係で、スウェーデンのバンドと仲良くなって、スウェーデンでレコーディングをしたアルバム3枚を日本のスウェーデンレーベルからリリースしたんです。そのレーベルが日本のスウェーデン大使館でイベントやった際に、建築のイベントもやってて、建築家として日本の事務所で働いていた現在のパートナーと出会いました。共通の知り合いがいたこともあって意気投合して、2005年に結婚して長女を出産しました。

 07年にパートナーがストックホルムで独立開業するのに合わせて移住することになりました。私はGITANEも休止していたし、音楽も18年やっていたので、1回立ち止まって新しい人生をやり直そうと考えました。日本で新しいことをやろうとしても、ずっと昔を引きずったままだと不健全でしょう。誰も私を知らない全く違う世界でやり直せるのがうれしくて、迷いはなかったです。

-スウェーデンでの生活は。

 初めは長女が5カ月で子育てが忙しかったし、家財道具などをそろえるのにも負われていて、生活が落ち着くまでに1年くらいかかりましたね。それからスウェーデン語の勉強して、スウェーデンの高校卒業資格を取って、ストックホルム大に入学しました。18歳でデビューして音楽しか知らなかったので、何か新しいことをやりたくて。最初は心理学部に入ったけど、ものすごい勉強量で週末もリポート書くような生活で、家族からも不満が出ていたので、楽しかったけど1学期の単位だけ取ってやめました。

 現地の企業でのPRマーケティングや日本語通訳、「長くつ下のピッピ」のアストリッド・リンドグレーン関係の歌やコミックの翻訳の仕事もしたことがあったんですが、携帯電話のアプリを作る会社では半年後にはトレンドが過ぎて売れなくなってしまう。大量のお金を投資して不必要なものを生産するより、必要なものを必要な人に届ける仕事をしたいと考えて、教育だと思いました。知識は捨てなくていいし、もらう量が多いほど人生に役立つから。ずっと音楽をやってきて自分が生かせるのも音楽でしたから。そこから教育学部で3年間勉強して教員免許を取って、市立小学校の音楽教員になって2年目になります。

-ミュージシャンから音楽の先生へ。全く違うようにも思いますが、キャリアが生かせる部分もあるのでしょうか。

 スウェーデンの教育要綱は日本のように何年生の何学期にこの教科書でこの内容を教える、というような細かなマニュアルにはなっていなくて、3年単位で指導する大まかな分野が定められているだけです。だからどの教科書を使ってどう組み立てて教えるかは学校と先生次第。教室ではなく美術館で勉強したり、リポートたくさん書かせたり、先生によって全然やり方も違います。ミュージシャンとしてのキャリアがなかったら、今のような授業は作れてないんじゃないかな。

 私はポップロックがバックグラウンドなので、譜面を教える際にシンディ・ローパーの「トゥルーカラーズ」を教材にしたり、日常では使わない「愛してる」というような言葉も音楽にすると伝えられるという音楽表現の自由さを教えたり。「どうして音楽なんか勉強しないといけないの」という子どもには「みんながミュージシャンになるわけじゃないけど、社会に出ていろんな仕事をする上で音楽や音響のことを知らないよりも、知っておいた方がきっと役に立つよ」と教えています。

-教え子には純さんがミュージシャンだったことを伝えているんですか?

 今は2年生から6年生までの約350人を受け持っているんですが、生徒には歌手だったことを話して、ミュージックビデオを見せたこともあります。「これが本当に純なの?」と驚いていましたね。GITANEの再始動ライブのことも話していて、「見たい」「なんでストックホルムでやらないの」と言われました。

-17年ぶりのライブはどのような内容になりますか。

 曲は当時の曲を演奏するわけですが、17年たって私たちも人間的に成熟したし、技術的にも進化していると思うので、新しく進化した今の私たちを見せたいですね。私自身、歌い方も変わってきているし、歌詞の解釈も自分で書いていても変わってきている。当時のライブは結構激しくて、ステージダイブもやっていましたけど、今回はそんなに広い場所ではないので…。体力作りのために3カ月前から5キロ走るようにしているんですが、ステージの勘自体は18年やって身に付いているので、すぐに戻りました。だから、私自身の準備は整っていると言えますね。

-東京公演のチケットはソールドアウトしています。

 ファンの皆さんがそんなに待ってくださってたんだなと、感謝の気持ちでいっぱいです。自分が作ってきた音楽が聴いた人の人生の一部になればいいなと思っていて、10代で聞いていた人が今聴いても当時のことを思い出したり、曲を覚えていてくれるのは奇跡だと思いますし、自分がミュージシャンとして生きてきたことに誇りを持てます。だからライブに来てくれる人、存在意義を感じさせてくれた人にはありがたいとしか言えません。

 私はここ数年、教育者として毎日過ごしていますし、日本語も変になっていることがあります。音楽だけでなく、政治や、国民性、日本のモラルや規範、教育論など、日本を出て初めて気づいたことがたくさんあります。この違和感をアーティストとしてどうやって来てくださる皆さんに伝えられるか、不安と楽しみな気持ちが入り混ざっています。ライブ会場で再会して、ライブに来てくださった方が何か新しい発見をできて、お互いに成長し合えるような場にしたいと思っています。

-再始動ライブ以降の活動については。

 今後については現時点では未定です。まずは復活ライブを目撃してもらいたいですね。

-お子さんは2人いるんですよね。お母さんの復帰については何とおっしゃっていますか。

 娘は今、12歳と9歳になりました。2人とも音楽学校(小学校)に通っていて、一人は合唱で有名な学校、もう一人は楽器演奏で有名な学校に通っています。小学校で音楽学校があるのでスウェーデン独特で、とても興味深い教育理念だと思います。ちなみに、長女は王立オペラ座で子役オペラ歌手として3つのオペラに出演しました。私は全くクラッシックを勉強していないので、娘たちの音楽環境に一緒に浸れることはとても刺激的です。

 家で歌の練習をしていると、夫も含めて「昔よりうまくなった」と褒めてくれるんですが、娘はロックがあまり好きではないのか「練習はもうそのへんにしておけば」と言われることもあります。

-徳島に里帰りされることはあるのでしょうか。

 徳島が大好きなので、1年に1度のペースで帰っています。スウェーデンの友達に「日本でどこに行くのが好きなの?」と聞かれた娘は「マルナカ!」と答えていて、大笑いしたことがあります。スーパーに並んでいるものがスウェーデンとは違うので、楽しいみたいです。あすたむらんども毎回行きます。うどん、ラーメンも大好きで、あとは温泉とか。

 徳島に帰るたびに加賀屋醤油の「味一」は12リットルをスウェーデンに持って帰っています。あとは大野海苔の「卓上味付のり」も無くなるたびに両親が送ってくれています。徳島の方でGITANEに興味がある方や、私を覚えてくれている人、新たに興味を持ってくれた人など、どなたでも結構ですので、見たいと思った方はぜひ復活ライブに来てください。

 GITANE大阪公演は阿倍野のライブハウス「ROCKTOWN」で午後6時開演。オールスタンディングでチケットは前売り5500円(当日500円増)。既に2つのプレイガイドでは完売し、ローソンチケットでも残りわずかとなっている。