田岡さんが大切にしていたオルゴール=徳島市八万町の実家

田岡英司さん

 関西電力美浜原発3号機(福井県)のタービン建屋で蒸気が噴出し、徳島県出身の2人を含む5人が死亡、6人が重軽傷を負った事故は、9日で発生から15年を迎える。「心の中は当時のまま。あのつらさは忘れられない」。徳島県内の遺族の悲しみは、今も癒えていない。

 事故では徳島市八万町出身の田岡英司さん=享年(46)=と吉野川市川島町出身の亀窟勝さん=享年(30)=が犠牲となった。

 「毎日が命日のようだ。泣き過ぎて涙も枯れ果てたみたい」。田岡さんの母昌子さん(84)は、仏壇の横に飾った遺影とスナップ写真を見詰め、こう話した。

 事故当日のことは今も鮮明に覚えている。めいから連絡を受け、急いでテレビをつけると、画面に長男の名前が出ていた。

 6年前に夫治雄さんに先立たれ、1人で暮らしていた。原発での仕事に抵抗のなかった田岡さんに「放射能事故が起きたら取り返しのつかないことになる」と心配していた矢先だった。

 「このまま生きていけるのか」。毎日のように連絡をくれていた長男を突然失い、不安やストレスで体調が悪化した。その上、乳がんや甲状腺機能低下症、胃潰瘍も患った。「悲しみを捨てられたら、どれだけ楽だろう」。心の中で何度も叫んだ。

 事故2日後に行われた田岡さんの葬儀。火葬場の煙突から水色の煙が天に向かって真っすぐ上がっていたのが忘れられないという。

 「息子はきっと天国に行ったはず。彼の分まで精いっぱい長生きせなあかん」。田岡さんが幼少の頃に大切にしていたオルゴールを前に、改めて誓った。

 運転中の原発で起きた国内最悪の事故。蒸気が噴き出した配管は、運転開始以来28年間、点検されていなかった。不条理な形で家族を亡くした遺族の無念は消えない。

 亀窟さんの父(69)は「事故を一日も忘れたことはない。二度と起こしてほしくない」と力を込めた。

 美浜原発3号機事故 2004年8月9日午後3時20分ごろ、美浜3号機のタービン建屋で、タービンを回すための2次冷却水の配管が破裂し、高温の蒸気が噴出。定期検査の準備中だった下請け会社「木内計測」(大阪市)の作業員5人が死亡、6人が負傷した。破裂部分は検査リストから漏れ、運転開始から28年間点検されていなかった。当初10ミリあった配管の厚みは最も薄い所で0・4ミリまですり減っていた。