中国の国家主席の3選を禁止する規定が削除される見通しとなった。
きょう開幕する全国人民代表大会(全人代)に、中国共産党が規定の撤廃を含む憲法改正案を提出する。
可決されるのは確実で、習近平主席の力がますます大きくなるのは必至だ。
経済や軍事の面で覇権志向を隠さない指導者が、自らに権力を集中させ、独裁色を強めることに不安を抱かざるを得ない。
中国の憲法は、主席の任期を2期10年までと明記している。終生、絶大な権力を握った建国の父・毛沢東への個人崇拝が、大規模政治運動「文化大革命」(1966~76年)の悲劇を引き起こしたとの反省からである。
任期の制限とともに、トップの暴走に歯止めをかける仕組みとして採用したのが、話し合いで主要政策を決める「集団指導体制」だった。
ところが、これも着々と権力基盤を固めてきた習氏により、骨抜きにされている。
2012年に党総書記に就任した習氏は、国民受けのいい「反腐敗」を掲げ、相次いで政敵を汚職で摘発した。
16年には、自身を党の「核心」と位置付けることに成功。さらに昨年の党大会で、慣例となった後継者指名を見送り、自分の名前を冠した指導理念「新時代の中国の特色ある社会主義思想」を党規約に盛り込んだ。
他の最高指導部メンバーとの格の違いは広がる一方で、その権威は毛沢東や、改革開放路線を進めた故鄧小平氏に迫る域に達している。
言動をいさめる人物がいない上、主席の任期も撤廃するとなれば、終身支配に道を開く可能性が高まる。中国は、個人崇拝が多くの犠牲を出した歴史を忘れたのだろうか。
懸念されるのは、独裁の弊害が増すことである。
習氏は、民主活動家や人権派弁護士らを敵視して拘束するなど、厳しく抑圧してきた。言論統制にも力を入れ、インターネット上の批判的な書き込みを検索できなくし、学者や活動家らの意見表明も禁じている。
しかし、経済の急速な発展に伴い、国民の価値観は多様化してきた。旅行やネットなどを通じて、海外の情報も容易に入手できるようになっている。
どれほど習氏の指導理念が優れていても、特定の思想を押し付けるのは限界があろう。無理に突き進めば社会の混乱を招くだけだ。
力に頼る手法は対外的な姿勢にも表れている。南シナ海で進める軍事拠点化や、沖縄県・尖閣諸島周辺での挑発行為などである。国際覇権への野心をむき出しにするようでは、周辺諸国はもちろん、世界の信頼は得られまい。
全人代には、習氏が掲げる「中華民族の偉大な復興」を書き込む改憲案も出される。
そのスローガンが、国民を抑えつける独裁国家を示すものであってはならない。