江戸時代、天明の飢饉(ききん)で人口が激減し、富山から多くの移民を受け入れて地域の再生を図った。福島県南相馬市の真宗大谷派原町別院は、そんな地に立つ。東日本大震災で甚大な被害に遭った地域の一つでもある
住職の木ノ下秀昭さん(81)は、大震災前から行路病者ら引き取り手のない遺骨を預かってきた。「仏教では縁のない人などいない。誰もいないのなら、私がその一人になる」。こんな思いからだ
市内では津波などで500人以上が亡くなった。関連死も増えるばかり。東京電力福島第1原発事故の影響圏内で、大勢の市民が避難を余儀なくされもした
原町別院に眠る遺骨のうち、大震災の犠牲者は、現在25人を数える。幸い、身元は判明している。縁者の来訪を待ち続けているが、それぞれに事情があるのだろうか、連絡はない
入居していた福祉施設を原発事故で追われ、県外の病院や施設を転々とさせられた揚げ句、力尽きて郷里に戻った高齢者。仮設住宅で孤独死した人、大阪など遠く県外から日雇い仕事を求めてやって来た除染作業員…。「原発がなければ、こんなことにはならなかった人がいる」
大震災から、きょうで7年。古里との縁を断ち切られた人がいる。それを結び直そうと懸命になっている人がいる。そんな人たちの思いに、政府はどこまで応えてきたか。