真新しい手帳にまず書き入れる。東日本大震災忌。きのう、3月11日午後2時46分、多くの人が黙とうし失われた命に思いを寄せた

 亡き人は何を残したかったか。今の人たちに何を望んでいるか。推し量ることはできても答えは出ない。政府主催の追悼式、岩手県産のスイセンとユリ、宮城県産のキク、福島県産のナノハナとヒムロスギに彩られた標柱を前に、3県の遺族代表が語った「あの時」が胸を打つ

 津波に流されながら、夫は妻の名を呼び続けたという。「ひで子ー」「ひで子ー」「ひで子ー」。妻も夫を呼んだが返事はなかった。「父ちゃん、早く逃げっぺ」とさえ言えていたら…。福島県の五十嵐ひで子さん(70)は、今は語り部として逃げる意識を伝え続けている

 振り返れば、大震災が起きた夏、被災地の浜辺で、人の名を呼ぶ声を聞いた。3回、4回と。もう一度、一目だけでも会いたい。そんな思いが抑えきれなかったのだろう。あれほどの人をのみこんだ海が穏やかだったのを思い出す。なぜ、「あの時」だけ暴れたのか

 7年。街並みは様変わりしてしまったけれど、悲しみを癒やせるほどの時間とは言えまい。きのう多くの人がそれに寄り添い、2万人を超す犠牲者の命と向き合ったのだろう

 「あの時」を忘れない。共に逃げる、支え合う、生きることを忘れない。