1978年1月、徳島ラジオ商事件第5次再審請求に際し、冨士茂子さんはこんな歌を詠んでいる。<この潮をのがせば我の真実はもどりはしまい吹雪く街角>。翌年、69歳で病死した
 
 親族が引き継いだ裁判史上初の死後再審で、無罪を勝ち取ったのは、それから6年後。事件発生から32年がたっていた。判決の日、かつて検察にうその自白をさせられた元少年が、本紙にこう語っている。「よかった。でも長すぎた」
 
 福岡高裁宮崎支部が再審開始を認める決定をした大崎事件は、冨士さんが亡くなったのと同じ79年に、鹿児島県で起きた。男性を絞殺し、遺体を遺棄したとして、義姉の原口アヤ子さんらが殺人罪などに問われた
 
 有罪の根拠となった元夫や親族の自白を、高裁は「信用できない」と退けた。被害者の男性が事故死だった可能性も指摘している。そうなれば事件ですらなかったわけだ
 
 ラジオ商事件から随分たつけれど、ここでも自白頼みの捜査が多くの人を傷つけ不幸にした。共犯とされた元夫は既に死亡しており、原口さんも90歳。<この潮をのがせば>の年齢になっている。開始決定は、これで3度目で、一日も早く再審を実現すべきだ
 
 原口さんは一貫して関与を否認し、<我の真実>を叫び続け40年近くになる。権力の都合の良い筋書きに翻弄(ほんろう)された後半生である。