石井滴水「後の月」(明治40年ごろ)

美人画を見ながら着物について解説する内山琴子さん=県立近代美術館

紺谷光俊「鶯宿梅 紅梅内侍」(昭和5年ごろ)

池田輝方「御代参詣」(大正4年ごろ)

上村松園「桜狩の図」(昭和10年ごろ)

 美人画を鑑賞する場合、描かれた女性がまとう着物の柄や帯の結び方に注目するのも大きな楽しみだ。徳島県立近代美術館で9月1日まで開かれている企画展「美人画の雪月花―四季とくらし」に合わせ、全日本きものコンサルタント協会正会員で装道礼法内山きもの学院主宰の内山琴子さんが、ギャラリートークした。要旨は以下の通り。(美人画はいずれも培広庵コレクション)

 江戸時代中期以降の京都の町家の令嬢風俗を描いた上村松園の「桜狩の図」は、日傘姿の令嬢が五つ紋の晴れ着を着ている。この時代はまだ訪問着がなかったので、五つ紋が最も格の高い着物だった。

 頭には外出時の「あげ帽子」をしている。今は花嫁衣装の一つ「角隠し」となっている。平安時代には薄い着物をかぶって外出しており、その名残といえる。

 あげ帽子は池田輝方の「御代参詣」にも描かれている。江戸城に仕える御殿女中たちが主人に代わって月参りする大切な習慣で、豪華な刺しゅうを施した大振り袖の上﨟(大奥の役職)が、あげ帽子をしている。

 この絵では、お付きの女中にも注目したい。帯は矢の字結びをしている。矢の字は吉祥でもある。この頃から帯は横結びから縦結びになっていく。

 美人画を鑑賞する際、帯結びに注目するのも楽しい。かるたを三つ並べたように見えるかるた結びは江戸時代に最も長く結ばれていた。石畳結びとも呼ぶ。帯の両端に鉛を入れて長く垂らした吉弥結び、より長く垂らした水木結びなども見られる。

 石井滴水の「後の月」は、着物の柄が美しい。文を見ている女性は、波に千鳥の着物。右の女性はアゲハチョウ模様の長着をまとっている。卵から青虫になり、サナギを経て成虫になり舞い上がるチョウは、不死不滅のシンボルだった。

 帯は雪の輪模様で涼しさを演出している。新芽の柳もあしらわれている。吉弥結びをしている。これが発展すると、舞妓さんのだらりの帯となる。

 紺谷光俊の「鶯宿梅 紅梅内侍」は、十二単が描かれている。たくさん着ていたと言う意味で、12枚ではない。十二単は袖口が大きく開いた大袖と呼ばれる着物で、小袖の着物を下着にして、その下にはかまをはく。直線を少しずつずらして色を組み合わせていくのが特徴。桜の季節だと赤の上に白を重ねてピンクに見せるなど平安時代の知性と教養が表れた。

 着物は平安から明治、大正、昭和、平成を経て現代に受け継がれた日本の伝統文化。見るだけではなく、実際に着て、その魅力を感じてほしい。

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 企画展に和装(着物、浴衣、阿波踊り衣装)で訪れると、前売り料金で入館できる。

 「美人画の雪月花-四季とくらし 培広庵コレクションを中心に」展