写真を拡大 国際ソロプチミストの親睦会の公演で踊る伊藤連長(前列左)と美恵子さん(同右)=名古屋市のホテル

 阿波踊りに人生をささげる男性がいる。名古屋太閤連の伊藤茂樹連長(74)=名古屋市昭和区。本場徳島とはゆかりのない生粋の名古屋っ子。19歳のときに阿波踊りを見て、雷に打たれたような衝撃を受けた。「これぞ日本一の盆踊り」。それから55年。足腰の鍛錬にと、三菱重工業に勤めながら掛け持ちしていた新聞配達を今も続ける。理由は「素直な少年の気持ちで阿波踊りを踊りたいから」と明快だ。
 

 伊藤さんは1971年、名古屋太閤連をつくり、踊りの質、規模とも有名連に引けを取らない尾張の雄に育てた。来年で発足から50年目。半世紀の歩みは、連長夫妻と約100人の連員との家族のような絆によって支えられてきた。

 名古屋市にあるホテルの舞台。金のしゃちほこが輝く名古屋城をバックに、太閤連の面々が笑顔で躍動する。女性の世界的ボランティア団体「国際ソロプチミスト」の親睦会は大いに盛り上がった。

 連員たちが最後のポーズを決めると、300人の観衆は表情を輝かせて拍手喝采。「素晴らしい」「すごく良かった」。そこかしこから声が上がった。

 深々と頭を下げる伊藤連長。二人三脚で連を率いてきた妻の美恵子さん(70)と、この日も並んで踊る場面が1分ほどあった。息の合った様子が、これまでの足跡を象徴していた。

 「阿波踊りを始めると人生が変わるよ」。伊藤連長が連員をスカウトするときの決めぜりふだ。スカウトされてから結婚した美恵子さんは「踊りが私の生活そのものになった」と笑う。

 伊藤連長は祭りが大好きな少年だった。いろいろな盆踊りを探しては、自転車で会場に向かい、浴衣姿の見知らぬ人々の踊りの輪に加わった。

 阿波踊りと出合った19歳の衝撃は今も鮮明だ。名古屋市の大曽根商店街で聞き慣れないおはやしを耳にした。兄から踊りのグラビアをもらっていたので、「これが阿波踊りだ」とすぐに分かった。すさまじい乱舞が目の前で繰り広げられた。いてもたってもいられず、踊っていた徳島県人会の連の門をたたいた。

 伊藤連長の阿波踊りへの思いを象徴するようなエピソードがいくつかある。

 県人会に入って5年後、自ら連を立ち上げることになったとき、必要な資金を工面するため生命保険と住宅預金を解約した。「5年後に妻にばれちゃって。でも笑い話で終わった」

 72年、自らの結婚式の日。披露宴を終えて新居へ向かう二人は、太閤連を引き連れていた。沿道に、ご近所さんの人だかりができ、新聞やテレビにも取り上げられた。「阿波踊りでお嫁さんをお出迎え、というのをやりたくて」と思い起こす。

 なぜこれほど好きなのか。伊藤連長は目をつむり、自分の気持ちを確かめるように話した。「あのおはやしに気持ちをかき立てられる」

 太閤連にとっての聖地は自宅。1階玄関に「舞道場」と記された看板が掛かる。

 広さ20坪、床は板張り、前面の壁は鏡張りになっている。連員たちが基礎体力を培い、技に磨きを掛けてきた修業の場。新入りは必ずここで、連長夫妻やベテラン連員から洗礼を受け、上達するための練習の厳しさを知る。その後のオーディションが登竜門。合格しないと舞台には立てない。

 かっぷくのいい男性の遺影が舞道場を見渡す。汽車ポッポ踊りでならした葵連(徳島市)の元連長小野正巳さん(94年死去)。太閤連を立ち上げたばかりの頃、伊藤連長が名古屋市で葵連の踊りを見て心酔した。その後、小野さんの元に出向き、師弟関係を結んだ。

 小野さんとの出会いを機に太閤連は72年、葵連の姉妹連になった。徳島市の阿波踊りで毎年、太閤連の志願者が葵連に加わる。バラエティーに富む個性豊かな太閤連の踊りは、葵連のDNAを受け継ぐ。

 遺影とともに「踊一代」の書が掲げられている。伊藤連長に託された小野さんの形見。「ご遺族が、私にもらってもらいたいと言ってくれてね」。在りし日の師の面影が脳裏に浮かぶ。伊藤連長は「包容力のある人だった」としみじみ語る。

 「今日はみんな本当によく来てくれた」。国際ソロプチミストの公演の後、伊藤連長は連員一人一人にねぎらいの言葉を掛けた。それぞれに仕事を持つ現役世代がほとんど。平日に40人集まる連は珍しい。

 連員たちは伊藤連長をこう評する。「例えば、20歳を迎えた連員がいればケーキを持って家に行く」。動員力は、人徳のたまものなのだろう。

 公演後の帰り道、名古屋市中心部のメインロード・広小路通に差し掛かったとき、美恵子さんが車窓に目を向け、静かに語り始めた。「連ができてすぐに、この通りで恒例の広小路夏まつりに出演するため、二人で営業に行ったの。必ず盛り上げるから踊らせてくださいってね」。念願かない、それ以来出演を続けている。今年8月で49回目。今では太閤連の踊りが広小路夏まつりの名物だ。

 公演は年30~40回。それから連員のスカウトに育成、公演の営業・・・。月のスケジュールは踊りの関係から先に埋める。プライベートは空いてるところに。「人生、踊り一色」。二人は向き合い、うなずき合う。

 連員たちが口をそろえた。「こんなに仲のいい夫婦を見たことがない」。