徳島県小松島市の赤石トンネルを抜け、国道55号バイパスを南へ車で5分ほど進むと、白いハウスが見えてくる。樫山農園が誇るガラス温室。高糖度のトマトのほか、コメ、麦、大豆、コマツナなどを栽培している。代表取締役の樫山直樹さんは「おいしいですよ」と胸を張る。

 樫山家は代々農家の家系だ。しかし、建築家になりたかった直樹さんは、阿南高専の建設システム工学科(当時)に進んだ。ところが、土木系の学科だったため次第に勉強に対する意欲を失い、留年してしまった。「本当に迷惑をかけてしまった」

 そのころ父・博章さんは脱サラし、農業を継いでいた。父から農園として法人化する夢を聞いた直樹さんは「一緒にやっていきたい」と思い、高専卒業後に就農することを決意した。

 ■米国で農業研修

 農業を本格的に学ぶため、2000年に外務省の農業研修事業に参加した。研修先となった米サンディエゴの農業法人で、メキシコ人500人の労務管理を任された。そこで、大規模で効率的な農業経営を目の当たりにした。

 しかし、その農業法人の作ったトマトは食べたくないと思った。収穫した緑色のトマトを、ワックスのプールに漬けた後に磨いてピカピカに光らせる。そのトマトを真空パックして保管し、出荷前にエチレンガスを入れて赤くする。「効率的だが農産物へのこだわりがない。日本の方が、安全性・品質で勝っている」と強く印象づけられた。

 「日本の優れた栽培技術と米国のような効率経営を兼ね備えた農園にしなければ」との思いを描いて23歳で帰国。父の農園で経営に携わるようになった。

 ■直接販売が転機

 帰国前に思い描いた農園像の象徴的な施設がトマト栽培用のハウス。温度、湿度、日射量などを自動制御できる。今では一般的になったスマートアグリの先駆けだ。

 2002年には大手ビールメーカーと提携し、大麦の殻皮を圧縮成形して炭化した「モルトセラミックス」培地を導入した。

 ここでできたトマトを非破壊検査装置で検査し、8度以上の糖度のものだけを出荷対象とする。こうして選び抜いたトマトを「珊瑚樹(さんごじゅ)」と命名し、ブランド化した。今も看板商品だ。

 しかし、初期投資が大きかったため、売り上げを全て借金返済に回さざるをなかった。「ずっと赤字で苦しかった」と振り返る。

 そんな折、ビールメーカー側の事情で提携を解消することになった。これをきっかけに、農協にも一部を卸していたが、直接販売に乗り出したことで経営が好転した。価格を自ら決め、B級品も産直市やスーパーで安く販売する。ようやく黒字化に成功し、右肩上がりで売り上げが伸びていった。

 ■複合経営が成立

 トマト栽培を進める一方、収穫後の残さを堆肥化するために始めていた水稲栽培がさらなる成長のきっかけとなった。

 すき込み作業をする姿を見た近所の人から「田んぼを貸すので米を作ってくれないか」と頼まれた。当初、規模拡大は頭になかったが「引き受けることで地域の人に安心してもらえるなら」と了承し、作業がしづらい農地も引き受けた。こうした評判が口コミで広がり、田んぼの貸し付け希望が相次いだ。気が付けば、田んぼの面積は当初の0・6ヘクタールから大幅に広がった。

 こうした結果、今ではトマトよりコメの収入の方が多くなった。それでも「あくまで主力はトマト」と、新たなハウス建設も計画中だ。

 一方、引き受けた農地には水稲に向かない土地もあり、大豆や麦、コマツナを生産する。それぞれ繁忙期がずれており、効率的に循環させることで複合経営を成り立たせている。

 ■世界に日本式を

 海外にも目を向けた。16年にはベトナムに県内の企業と共同で進出し、サツマイモ、トマトなどの試験栽培を始めた。18年からはタイでも現地企業などとメロンやトマト、シイタケの試験栽培に取り組んでいる。こうした取り組みは、日本の農業技術を広めるとともに、現地の人たちに働く場を提供するという意味もある。「研修生として外国人が訪日しているが、帰国しても技能を使うところがなければ意味がない」と思いを語る。

 18年9月に代表取締役に就任した。「樫山農業で世界を幸せにする」。この経営理念を実現させるため、生産者や消費者、地域の人らが笑顔になれるよう全力で走り続ける。