宮城県の中学校教諭だった佐藤敏郎さん(55)は、東日本大震災の津波に小学6年の次女を奪われた。通っていたのは、児童74人と教職員10人が犠牲になった大川小学校。佐藤さんはいま、震災の教訓を伝える語り部となって現地を訪れる人を案内し、全国を駆け回ってもいる

 一昨日、阿波市で講演し「3・11から学びを」と訴えた。学校現場で起きた悲劇だけに葛藤があったようだ。教員だった立場では「救いたかった命」、保護者としては「救ってほしかった命」。それでも結果的には「救えた命」だったと言い切る

 大川小の避難マニュアルに目を疑ったという。避難先は「近隣の空き地か公園」。該当する場所などないというのに。「命を守るマニュアルでなく、市教委に提出するためのものでした」

 防災には「念のため」が必要と説く。大川小のマニュアルも笑顔で学び、遊ぶ子どもの姿を思えばギアが一段上がり、避難先は変わっていた。そう確信している

 児童23人の遺族が損害賠償を求めた訴訟は、組織的な過失を認定した二審判決に市と県が上告し、係争中だ

 だが佐藤さんは、先生たちが置かれていた状況にも思いを寄せる。「8メートルもの津波を見た先生は子どもを抱きしめたはずです。抱きしめて流されながら、きっと後悔したはず。その後悔を無駄にしてはなりません」。