桐本千春さん

「胸をつらぬく」 桐本千春      

 中州の枯れ葦が風に揺れ、乾いた声で「せんぼ、せんぼ、」と、念仏を唱える。ここ数日、夏の名残のなまぬるい風が、園瀬川の川べりを包み込んでおる。

 河原の一角に、引き出しが抜けた箪笥や、ひしゃげた一斗缶、焦げついた鍋、欠けた茶碗などのがらくたが、無造作に積み上げられておる。地面が血の様に赤いのは、鉄分を多く含んだ赤土のせいであって、ここら一帯が、その昔、罪人の処刑場であったこととは無関係じゃろう。

 河原に作られた円形の窪地、直径四、五メートルはあろうか。縁は、なだらかな曲線で硬く塗り固められておる。穴の縁にへたり込み、中に足を投げおろした。一メートル以上掘り下げられたこの窪地で、遺体の火葬をとりしきる、それが、わしの仕事じゃ。

 今にも窪地の底から腕がにょきりと現れ、わしの足を引きずり込みそうな気がする。昼間でも人通りは殆どなく、風の音と瀬音だけが孤独を紛らわせてくれる、そんな三昧じゃ。

 がらくたの一角が、突然音をたてて崩れた。赤い甲羅の蟹が、驚いて、割れ茶碗の下から飛び出してきた。蟹は爪を振りかざし、目玉を懸命に伸ばして、泡を吹いてわしを威嚇してくる。甲羅が複雑にめり込み、いかめしい武人のような面構えに見える。勝手に崩れたのじゃ。おまえの棲みかを壊したのは、このわしではない。

 

 火にかけられた骸は、熱がまわればやがて骨が縮み、肉が硬直して、ひとりでに立ち上がる。わしら焼き場守りは、一度死んで、業火の中で再び起き上がる遺体を完全に眠らせるという役目も担っておる。じゃがその務めも今日までのこと。吉野川の向こうに、最新式の火葬場ができた。今度からは、そこで遺体が焼かれる。完全密閉式の焼き窯なので、骸はもう立ち上がらん。つまり、わしらはお払い箱となるわけじゃ。

 ここへ来る途中、山城を通った時、馬頭観音さんに手を合わせた。仕事に就く前の儀礼として、これまでずっと続けてきたことじゃ。

「つつがなく、お役目を全うすることができますように。せんぼ、せんぼ」

 いつもより長く頭を垂れ、お祈りをした。

「ぎ~ころ、ぎ~ころころ」

 堤の上の旧街道を、さび付いた車輪を軋ませながら、自転車が一台、ゆうらりと通り過ぎて行く。ペダルをこぎながら、顔だけをこちらへ向けた。目じりが垂れ下がり、口元はつり上がっておる。にやけた表情が、はっきり見てとれる。あの爺様は確か、一昨年亡くなった、この辺りの名士のはず―。

 カラスが翼をたたんだまま、街道沿いの木の枝で、こちらの様子をじっと窺っておる。隙さえあれば、わしら焼き場守りの眼を盗んで、死者の骸をつつこうとする。あやつらに食い荒らされれば、鎮まれる魂さえ鎮まれぬ。成仏できねば、永遠にこの世を彷徨う哀れな魂となり果てる。わしはカラスを睨み返した。おまえらの好きにはさせんぞ、と。

 足元に視線を戻し、傍らの鉄棒を手に取った。棒は、わしの背丈よりやや長い。太さは直径二センチ程じゃろうか、長年使い込んだせいで、持ち手の辺りが指の形に磨り減っておる。先端は、骨まで貫けるよう、鋭利で先細りした形状である。

「ふんっ、」

 勢いをつけ、鉄棒を地面に突き立てた。表面の赤土が掘れ、その下から粘り気のある黒い粘土質が現れた。堆積した有機物の、肥えた匂いが噴出する。鼻がむず痒くなり、くしゃみを一つ、川辺に響かせた。

「ごめん父さん、遅うなってしもて!」

 振り返ると、荷袋と薪を積んだ大八車を引いて、慎重な足取りで堤下へおりて来る良治の姿が見えた。つま先を土にめり込ませ、前屈みになって、車輪の速度を抑えておる。良治は身長百八十センチの大男じゃ。仮死状態で生まれたあやつが、よくぞまあここまで育ったものと、感心しきりである。

「今日はこの仏さん一体だけやと。家族さんが、明日の朝早うに骨拾いに来るそうや」

「ほうか、」

 穴の前で良治は車を止め、袋を荷台から抱え下ろした。

「そうや、役場の神吉さんがな、今度、父さんらの送別会してくれるてよ」

「そりゃそりゃ、酒でも振舞うてくれるんかいの」

 わしはほくそ笑みながら、鉄棒の先で窪地を指し示した。良治は袋を抱えたまま穴の縁でしゃがみ、穴底へと滑り降り、袋を地面におろした。わしも尻をにじらせ、穴底へとずり落ちた。二人で荷袋から遺体を取り出し、穴の真ん中に寝かせる。骸は、子どものように華奢な体をした若い女じゃった。良治は、女の死装束の袷や裾を整え、髪の乱れをそっと額に撫で付けた。袖に冥土の渡し賃が入っておることを、手探りで確かめる。一連の決まりごとを終えた後もあやつは、片膝をついたまま蹲り、じっと亡き骸を見つめておる。

「どないしたんぞ、おまえ?」

「―この人見とったら、わいの、死んだ母親のこと考えてしもて―」

 佇む良治を尻目に、わしは勢いをつけ、どっこらせと、穴から蹴上がった。

「仏さんに心を持っていかれたらあかんだろうが」

「わかっとるよ。けんど、わいの母親も、若うしてのうなったんだろ? ほんで、ここへ運ばれてきた」

 二十年前のことじゃ。穴の底に横たわった女の腹の下で、へその緒を付けた赤子が仮死状態になっておるのを見つけた。死んだ母親の胎内から自力で生まれ出たらしい。わしは慌てて赤子を抱き上げ、紫色の冷えた体をさすった。やがて赤子が弱々しい鳴き声を上げるのを見届けると、近くにあった草刈鎌でへその緒を切り、作業服に小さな体を包んで、夢中で医者へと走った。その赤子が、良治じゃ。

 良治は役場で手続きを終えた後、子どもに恵まれんかったわしら夫婦の息子として迎えられた。ずっと隠してきたその事実を、十五になった歳、本人に話したが、どこで聞き及んだのか既に知っておった。人の口とは残酷なものよのう。

 本物の親子と変わりなく暮らしてきたつもりでも、腹の内では実の親を恋しがっていたのじゃろう。良治は、目の前の若い女の亡骸に母の姿を重ね、離れ難い様子で、穴の底でうずくまっておる。

「ええから、今日はもう帰って寝ぇだ。おまえは疲れとる」

 良治は暫く逡巡した後、噛み締めるように言った。

「―わい、今夜、ここに残ってもええで?」

「ほれはならん!」

「お願いや、どうか、このひとのお見送りを、一緒にさして欲しい」

「軽はずみなことを言うもんでないわ。焼き場守り以外のもんが、ここで晩を過ごしてはいかん決まりじゃ」

「なんでな、どうせ今夜が最後なんだろ? 最後の一晩ぐらいええでないか。どっちみち、わいは、父さんの跡継いで、焼き場守りになるつもりやったんやけん」

「いかんと言うとろうが、わからんのかぇ!」

 河原にこだまする自分の怒号を耳にしながら、かっとなって怒鳴ったことを、わしはすぐさま後悔した。死者と向き合うのは、なまはんかなことではない。じゃが、良治の心中を察すれば、無理もないことかも知れぬ。現に、ここを自分の生まれ故郷だと言い、死者に寄り添いたいと、ずっと遺体運びの仕事を手伝うてきたあやつじゃ。焼き場守りの仕事というものを、己の目で見納めんことにゃあ、気が済まんのじゃろう。

「……わかった。ほれでお前の気持ちに納得がいくんなら、ほうしたらええわ……」

 良治がどこまで己の境遇を知っておるのかは知らん。わしが養子縁組の際に役場から聞かされたのは、良治の母は幼い頃両親に死なれ、親戚をたらい回しにされた上、旅館に奉公に出され、苦労して育ったということだけじゃ。父親が誰かも、結局わからん。

 わしは作業服の胸ポケットから煙草を取り出し、口に咥えた。火の付いたマッチを手で囲い、煙草を吸い上げると、ヤニのどぎつさに、たちまち脳天がしびれだす。

「母さんから聞いたが、おまえ今度から、新しいにできた火葬場で働くそうじゃな」

「うん」

「わしの真似をせんでも、おまえはおまえの道を探せばええんぞ」

「わいは父さんを尊敬しとる。死者の魂を送る仕事に、わいも携わりたいんや」

「ほうか……」

 わしがここで仕事を始めて、かれこれもう四十年以上にもなる。月日の経つのは、ほんに早いものじゃ。初めは、火葬の手順に慣れることだけで精一杯じゃったが、数年経つと、遺体を前にして、自分を別のところから見つめるもう一人の自分がおることに気づいた。心眼を開いた、そう思った。その日からわしは、己に課された使命を胸に刻み、いっそう真摯に仏と向き合うようになったのじゃ。焼き場守りのもとへ、遺体は毎日、陽のあるうちに運び込まれる。それらを窪地に並べて寝かせる。火を入れるのは夜が更けてから。先代から教わったしきたりじゃ。いくら焼きが立て込んでおっても、決してそのしきたりは破らぬ。死者をだびにふすのは、闇が空を覆った後のこと。夜露は人の罪業を洗い流す。それは、あの世へ渡る魂への、何よりの慰めとなる。死者には儀礼をつくす。たとえ自死を選んだ者、罪人となり果てた者でも、死ねばみな、仏になる。わしはそう信じておる。

「時が経てば、ここに焼き場があったことも、わしのような仕事人がおったことも、忘れ去られてしまうんじゃろうな」

 眉山の稜線に届き始めた夕日を見ながら呟いた。たなびく茜雲、明日も暑くなりそうじゃ。隠れ際の太陽は見事に熟れ、まばゆさをふりまきながら、それでいてぬくもりは一片も与えぬ。川面を染めぬく夕陽に、命の終わりが重なる。人も死の間際、残り火を燃やす。訪れる死を目前に、意思と肉体とが激しく抗い、やがてそれらは折り合いをつけることとなる。そして闇が満ちれば、死出の旅が始まる。そんな魂の門出を見送るのも、わしら焼き場守りの大切な役目の一つじゃった―。

「誰が忘れても、わいが忘れん。ここで、父さんがやってきたこと」 

 忍び寄る夕闇が、良治の横顔を薄墨色に染め始める。川面を渡る風が、葦の葉を幟のようにはためかせる。穴の底に横たわり、胸の上で指を組まされた女の頬が青白く浮かび上がる。わしは煙を深く吸い込み、粗雑な味わいを、肺の中で苦く反芻した。日が落ち、立ち込める薄闇の中にぽつりと浮かぶ煙草の火。短くなった巻紙を地面に擦り付けると、じゅっ、と音がして、その後一層深い沈黙が、焼き場を包み込んだ。

 
「さて、そろそろ火を入れるかのう」

 作業着が夜露にしっとりと濡れ始めた。山鳩が、低くしめやかに、挽歌を唱い始める。カラスが枝から枝へと短く飛び移り、木々の葉擦れが、いよいよ冴えわたる。流れる瀬音は、昼間よりも少し勢いを増したようじゃ。

「どっこらせっ、」

 六十の齢を超えてから、めっぽう足腰がもろくなった。膝の裏の筋が伸びにくく、長時間座り込んだ後などは、立ち上がってから背筋を伸ばしきるまでにしばらく時間が掛かる。わしは薄暗がりの中で、節くれた自分の指を、目を凝らし、じっと見つめた。この手で、これまで幾人の魂を葬ってきたことじゃろう。

 鉄の棒を頼りに穴底へと降り立つと、良治に薪を持ってこさせた。女の胸の上に薪を並べ、マッチで柴草に火をつける。しばらく手で囲ってやると、辺りの空気をとり入れながら、炎はじんわり薪に燃え移った。窪地を照らす青白い炎を見つめながら、傍らの良治を見た。肩が、小さく震えておる。

「怖いんか」

 良治は顔を強張らせなから、首を横に振った。

「わいは父さんの子ぞ」

 薪の火が、女の胸の上で勢いを強めた。導火線を伝うように、頭の先から足先まで一気に燃え広がる。炎は赤、だいだい、緑と色を変え、高く低く揺らめきながら、女の全身を嘗め尽くしていく。やがて、白い肌が、ぷつぷつとあぶくを立て始めた。肉の焦げる匂いが、鼻の奥に満ちてくる。溶けた皮膚から筋肉の層がむき出しになる。閉じた目の周りが、大きく膨張している。

 凍りつくような良治の視線を、背中に感じる。わしは目を逸らさず、女の骸を見据える。

 良治よ、よう見ておけ、これが人の死に様ぞ。綺麗な者も醜い者も変わらん。死ぬるときゃ、みんな同じ様じゃ。窯の中で閉じ込めて焼けば、そのむごさを目の当たりにせんでええだけのこと。そのことを、今宵、胸に刻むがええ。

 わしは棒を持ち、身構えた。腰を落とし、神経を集中させ、その瞬間を待つ。

「ぎし、ぎしぎしっ、ぎぎっ」

 女の骨が、生木がへし曲がるようなしなり音をあげ、軋み始めた。

「キアアアーッ! 」

 カラスが木の上で狂ったように鳴き叫び、激しく羽根をばたつかせた。

 突然、弓なりに反りかえった女の体が、勢い良く立ち上がった。わしは即座に、鉄の棒でその胸を刺し貫いた。

 女はゆっくりと、仰向けに地面に沈んでいった。貫かれた胸から黒い煤が、揚羽のように、空高く舞い上がった。

<了>

 きりもと・ちはる 1964年生まれ。兵庫県赤穂市出身。結婚を機に徳島で暮らす。5年ほど前、四国大のオープンカレッジを受講し、小説を書き始める。2019年、三田文学新人賞で「赤い烙印」が第2席の佳作。看護師として徳島市内の老人施設に勤務。3児の母。徳島市中島田町在住。55歳。