宮月中さん

「いらっしゃいマンション」宮月 中

 地面から五メートルほど高いところに私たちの暮らしは座っている。

 夫の出勤を見送って、朝食の食器を食洗器に放り込む。機械の中に、雨の降るみたいな音がする。それを聞きながらインテリアのカタログを広げていると、雨音に交じって息子の唸る声が聞こえてきた。部屋を覗くと、息子の彰は勉強机に突っ伏して、胸のあたりを抑えている。どうしたの、しんどいのと聞くと無言で頷くので、こっちを向きなさいと言って中腰になった。回転椅子がキュッと回って、まだ新しい机の角にこつんと当たった。

「苦しいの。お熱あるの」

 柔らかい額に手を添える。少し熱があるかもしれない。私は半ば機械的にスマートフォンを取り出して、小学校と馴染みの小児科に電話をかける。町に病院が多いのは助かることだ。診療まであと一時間だというので、彰をベッドに寝かせて様子を見ていると、ベランダから洗濯機の呼ぶ声がする。

 窓を開けると少し高いだけの風景が広がっている。国道のバイパスが近いので車の音はうるさいし、心なしか空気もよどんでいる。彰の体調が度々すぐれないのも、こういう立地に原因があるのではないかとつい疑ってしまう。ふと、向かいの一軒家に布団を干す男と目が合った。男は気まずそうな会釈をするとそそくさと部屋に入り、プライベートを覗いてくれるなとばかり、ピシャリとカーテンを引いた。

 結婚を機に越してきた町のマンション。毎月六万円を持って行くマンション。和室しかない平屋暮らしの長かった私には、憧れのマンション。でも、背の高いマンションだって、二階に住んでみれば大した眺めもない。

「あまり高いところは、ねぇ。人は地面から足を離しては生きていけないんだよ」

 契約の日の、夫のつぶやきを思い出す。

「縁側のある庭つきがいいよ。ほら、家庭菜園も出来るぞ。おまえそう言うの好きだろ」

 勝手なことを言ってくれる。平屋なんて、夏は蒸すし冬は冷えるし、虫も出たりして管理が大変なのに。だいたい一階は弁護士事務所か何かだったはずだ。ここにすると決めた時点で地面に足はつかない。つかないのであれば二階も八階も同じじゃないの……

「……だから二階は嫌だって言ったのに」

 大型の観光バスがバイパスを駆け抜ける。ベランダ全体が少し揺れたような気がした。

 

 車を十分ほど走らせると、小高い丘の上に病院が見えてくる。トタンの飾り壁と円い窓の特徴的な、清潔感のある建物だ。駐車場は私の車で満車になった。ずいぶん混んでいるから、風邪でも流行っているのだろう。診察カードを渡して受付を済ませる頃には、彰の顔色はずいぶんよくなっていて、もう平気だよ、なんて暢気なことをいうので拍子抜けしてしまった。

「高いところ症かもしれませんね」

 先生は何ともなさそうな彰の喉を覗きながら、聞き馴染みのないことを言った。

「でもうちは二階ですよ……ほんの二階」

「いえ、高所恐怖症ではなくて、高いところ症。低いところにいると風邪に似た症状が出るんですけれど、高いところに登ってしまえば、しばらくは再発しませんので」

 最近多いらしいんですけれど、うちは高いところなので治っちゃうんですと言って、先生は困ったように笑った。どういう仕組みですか。いつ治るんですか。高いってどれくらいの高さですか。私の投げた質問は悉く先生の肩を飛び越えて、クリーム色の壁紙にあたっては落ちた。念のためにと出されたのは見慣れた風邪薬だった。結局お医者様の間でもよく分かっていないのだ。よく分からない病名と不安とを持ち帰るためだけに、私の午前中が費やされていく。もしあの日決めた部屋が八階なら……いや、子どもが訳の分からない病気になるなんて、はたして想像し得ただろうか。

 

 はじめ抱いた危機感やいら立ちは、けれども日ごと薄らいで、最初の発作から二週間余りが過ぎる頃には、私は息子の症状についてすっかり慣れっこになってしまっていた。奇妙な現象はあまねく町の人々の知るところとなっていた。でも、対処法もわかっている。重症化したなんて話も聞かない。少々分からない部分があるだけ。そんなものは世の中に溢れかえっているのだから……

 だから小学校からの一報を受け取った時、私は上手く事態を飲み込めないでいた。高いところにとお願いしても、受話器の向こうから返ってくるのは「とにかく来てください」ばかりだった。そういえば学校で発作が起きるのは初めてかもしれない。考えながら車を滑らせると、校門のあたりは人だかりになっていた。

「もしかして、食中毒か何かでしたか」

 授業参観で見かけたのか、かろうじて顔を覚えている女性におそるおそる尋ねると「いえ、高いところ症です」と返事が返ってきたので、ほっと胸をなでおろした。まず彰の担任が私たちを見つけ、しばらくして体操服姿の彰が気だるそうに降りてきた。

「あの、先生。高い症についてはご存じなんでしょう」

 たまらず漏れた私の質問に、担任が「もちろんです」と答える。

「ならばどうして、屋上に上げるとか、危ないのなら三階に移動するとか、対処はされなかったんでしょうか」

「高さが足りないんです」

 想像していない答えだった。担任は、もう何度もしてきたのだろうか、慣れた調子で付け加えた。

「ここにあるどの校舎も、「高いところ」に入らないんです。屋上に出ても回復しません。少数であれば手の空いたものが山の方まで行くんですけれど、今日は十八人がほぼ同時でしたので、親御さんを呼んだ次第です」

 担任に挨拶を済ませて車へと向かう。私はなんとなく二階よりも高いところは安全だと思い込んでいた。彰の手を握ると、驚くほどに冷たい。冷たさは私に恐怖を思い出させた。発作はいつ来るのか。場所によって高さが違うのか。それとも治る高さが徐々に高くなっているのか……初夏の空はあっけらかんと青い。私はそのどこにも、基準の線のないのが妙に腹立たしく思えて、山へ向かってハンドルを切った。

「高いところに行くよ」

 彰はバックミラー越しに頷いて微笑んだ。

 

 平野と川の多い町にあって、ひときわ目立つのが眉山と呼ばれるこの山だ。山は町のどこから見たって同じ形に見えて、だからランドマークのくせに方向感覚をぼやかせることもあったが、代りに四季の移ろいを際立たせた。生まれた時からこの町にいる夫に言わせれば、この町と眉山とは「腐れ縁」なのだそうだ。親でも兄弟でも親友でもなく、「腐れ縁」。その妙な言い回しは安直な地元愛と胡散臭さとを減退させ、結果眉山は私の信頼を勝ち得たのだった。それ自体は何も語らないが、登れば視点が変わる。山は良き相談相手だった。

 山頂には思っていたよりもたくさん人が居て、ちょっとした祭のようになっていた。互いに「高いところですか」「高いですね」なんて妙なあいさつを交わしているのを見ると、同じ事情でここを訪れている様だった。大学生くらいの青年や老人も多くて、子どもの病気とばかり思っていた私には少し新鮮だ。彰は車から降りるや展望台の方へと駆け出して、双眼鏡にしがみつくと振り返って百円玉をせがんだ。

 展望台からの景色はちょっとしたもので、正面に駅前の市街地と城山を、その背後に四国三郎と淡路島を望んだ。右手に紀伊水道、左の遠くには瀬戸内海が眠っている。瀬戸内の町から嫁いできた私は最初、海の色の違うのに驚いたものだ。私のマンションは右手の海の側にあって、二階でさえなければ、紀伊水道から和歌山県を望めるのだった。

「奥さん、奥さんも高いところですか」

 知った声を聞いて振り返ると、同じマンションで組合長をしている三木さんが、何やら紙束をもって立っていた。

「こんにちは。その、私じゃなくって息子の彰が……三木さんも、高いところに?」

「違う違う、ウチは八階じゃけん……そう、ボランティアをしとるんよ」

 そう言って手渡されたチラシを見ると、手作り感のあるロゴと、私たちのマンションの住所、写真の上に『いらっしゃいマンション』と書いてある。

「ほら、最近流行っとるだろ、高いところ。でも毎回眉山まで来るのは大変じゃ。ほなけん、高いところに住んどるわしら有志で、駆け込み寺を作ろ言う事になったんよ。奥さんも高い症でしんどくなったら、ウチに遊びに来たらええ」

 おもてなしの文化や言うけれど、困った時にお互い様言うのはどこ行っても同じですけんね。組合長はそんな言い方をしてビラ配りへと戻っていった。聞いた話では山間の寺や介護施設、役所なんかでも同様の活動が広がっているらしい。私はもらったビラを四つに折って鞄にしまった。別にお邪魔しなくたって治るのだから、そう思ったきり、マンションのことは一度忘れてしまった。

 

 突然地面がガタガタと揺れたような気がした。金曜日の昼下がり。ダイニングのテーブルでうとうとしている時だった。またバスかトラックでも通ったかと思い、立ち上がろうとしても上手くいかない。揺れる視界に捉えた棚の花瓶は、一向に倒れる様子がない。どうやら揺れているのは私だけの様だった。次いで、なんとも言えない息苦しさに、抗いがたい「上」への欲求が襲ってきた。そこでやっと気が付く。発作は息子にではなく、私自身にやって来たのだ。

 私は高さへの欲求に抗いつつ受話器に向かったが、息が詰まって声が出ない。ふと傍の冷蔵庫に目がいった。いつだかのチラシが磁石で止めてある。

「マンション……マンションに行かなきゃ」

 自分は今マンションにいるのに、そこに行かなくちゃいけないなんて、破たんしているようにも思えたけれど、今はそれだけが正しかった。這うようにしてエレベーターに潜り込むと、最上階の8を押した。やがて座標が昇るにつれて呼吸が落ち着いて、心拍も緩やかになった。チンと音がして八階の扉が開くころには、さっきまでの息苦しさが嘘のようになっていた。けれども私の心はもはや凪いではいられなかった。あんな発作が、マンションのないところで起こったら。周りに高いもののないところで起こったら、いったい私はどうすれば良いのだろう。ただの風邪だと思われたら。運転中だったら。不安の種につき押されるようにして、気が付くと801号室の前に立っていた。扉にはベニヤ板に手書きの文字で「いらっしゃいマンション」と書かれた札がかかっている。私はノックもせずに扉を開けてしまった。

 中にはすでに何人か、知らない顔がそろっていた。みんな高いところですかと聞くと、三木さん以外は頷いて見せた。招かれるまま中に入ると、誰がという訳でなく、お茶とお菓子が出された。テレビの音が随分大きくて、妙な生活感を醸し出している。

「今日、今ですね、なにぶん初めてのことで」

「とりあえず落ち着きんさい。そいで、のんびり話しよったらええ。安心と緊張が大事なんよ。バランスが崩れるといけん」

 そう言って三木さんは顔をあげる。つられて振り向くと壁にはこの地域の地図がかかっていて、所々にピンが打たれている。どこか不穏な既視感のある地図だった。三木さん曰く、ピンは発作の起こった場所と高さを示しているそうだ。マンション活動はあれからずいぶんと普及したようで、市内の多くのマンションや高所の施設が地域との協力体制をとっているらしい。それは日ごろ地域と切り離された生活をしていた私には、知る由もないことだった。

「なんだかほっこりしますね」

 それは忘れかけていた感慨だったかもしれない。私は自分の口からそんな言葉が出るなど、露程も思わなかったので、何だかおかしくなってしまった。それからは何でもない世間話だった。私は子どもや夫の事なんかを、これでもかと吐き出した。言葉は時によって受け止められたり、受け流されたりした。ただそれが心地よかった。

 

 町に起こった不思議な現象は、いつしか穏やかに収まっていった。地域の活動が功を奏したのか、偉い人が密かに対策を発明したのか、そもそも「マンション」が特効薬だったのかは知れない。とにかく高い症の話題は徐々に立ち消えて、人々の記憶から遠ざかった。私は何でもない日にまで「マンション」するようになった。マンション活動の多くは高い症と共に忘れ去られたが、うちのようにだらだらと残っているところもいくらか存在した。

 既視感の正体に気付いたのも、「マンション」する直前の事であった。私はふとドアポストに挟まったままの地図を見た。赤や青や、色とりどりのメッシュの入った地図だった。地図によれば、小学校は屋上までアウトなのだそうだ。小児科のある山は避難場所に指定されている。私たちのマンションは、四階までの浸水が想定されていた。

 急いで八階へと昇り、「マンション」の扉を開いた。机の上に防災マップを広げて、壁の地図と見比べる。発症場所のピンと津波の浸水予想はぴたりと重なった。私たちは溺れていたのだ。それは戦慄をともなう発見だった。「マンション」のメンバーは口をぽかんと開けていたけれど、そのうち「ノアの箱舟みたいや」と組合長が言った。「危ないところ、事前に教えてくれるなんて、えらい親切やないか」

 不意に夫の言葉を思い出した。人は地面から足を離しては生きていけない。いつかやってくる海を憂いたって、ここに暮らしを立てるより他ないのである。けれども私たちはそれを笑い飛ばした。それは勝利の笑いでもあった。私たちに船を作る時間はないけれども、それでも、私たちにはマンションがある。

<了>
 

 みやつき・ちゅう 1994年、松山市生まれ。3歳から高校を卒業するまで山口県宇部市で暮らした。徳島大学総合科学部を経て、同大大学院在学中。2年連続の徳島文学協会賞。徳島市南前川町在住。25歳。