水俣病患者の苦しみと怒り、哀しみをつづった「苦海浄土(くがいじょうど)」で知られる作家、石牟礼道子さんを密着取材して書いた「評伝 石牟礼道子 渚(なぎさ)に立つひと」(新潮社)で今年2月、第69回読売文学賞の評論・伝記賞に輝いた。「よか賞をもらいましたね。自分で書いたものが褒められたみたい」。石牟礼さんの笑顔と言葉で喜びは何倍にも膨らんだ。

  毎日新聞の記者として取材を始め、2014年2月から週に1回程度、福岡市から石牟礼さんの暮らす熊本市に通った。石牟礼さんの食べてきた物の話から生い立ち、公害闘争の話に広がり、生涯全体を記すことにつながった。パーキンソン病を患う石牟礼さんの介護をするほど家族からも信頼される存在となった。

  受賞決定からわずか9日後、持病が悪化して石牟礼さんが90歳でこの世を去ったときは「世の中の全てのものがつまらなく感じた」ほどの喪失感にさいなまれた。しかし、どれだけ近くで過ごしても人物像の輪郭をつかめなかった石牟礼さんについて、今後も書き続けていかなければならない使命感が湧き立っている。

  「彼女から学んだことは水俣の浜辺のマテ貝の数ほど多くある。その中でも『この世は苦しみに満ちているが、逃げることなく踏ん張ること。苦難に打ち勝たなくてもいい。とにかく粘れば何か道は開ける』という教えを守り、伝え続けていきたい。石牟礼さんの作品を、ぜひ若者にも読んでもらいたい」と語る。

  池田高校3年時に副担任だった故蔦文也氏が雨上がりのグラウンドにたまった水を1人で雑巾で吸い取っていた後ろ姿が心に焼き付いている。「誰に見せるわけでもなく黙々とされていた。そういうことの積み重ねが全国制覇につながったことを思えば、人と同じではない努力を続けることが何事も大切なのでは」と古里の後輩たちにエールを送った。

  よねもと・こうじ 東みよし町出身。池田高校から早稲田大に進み、在学中は「早稲田文学」編集に携わった。卒業後、1987年、毎日新聞に入社。九州の各支局や東京本社学芸部を経て、現在は西部本社福岡本部学芸部の文芸担当記者。著書に「みぞれふる空-脊髄小脳変性症と家族の2000日」。福岡市南区在住。57歳。