阿波藍が京都に「里帰り」 愛好家団体、70年ぶり復活 京都府亀岡市の藍染愛好家らでつくる住民グループ「ほづあい研究所」が、上板町下六條の藍師佐藤昭人さん(78)から藍の種を譲り受け、70年以上途絶えていた京都の藍作を復活させた。3年前に本格的な栽培を開始。年々収量を増やし、ファッションショーを開くまでになった。佐藤さんの藍は京都発祥の品種で、「里帰り」したことにもなる。メンバーは「さらに栽培面積を増やし、地域を盛り上げたい」と力を込める。
研究所によると、京都で作られる藍の品種は「京の水藍」と呼ばれ、京都駅南側の地域で盛んに作られた。化学染料の普及で1922年ごろには商業生産されなくなり、一部の藍師が種を取るためほそぼそと栽培を続けていたが、戦争激化に伴う食糧増産の圧力に押され、41年ごろには完全に姿を消した。
研究所は、亀岡市の染色家吉川慶一さん(65)らが「藍染を普及させよう」と2015年1月に設立。試験的に藍を栽培していた。
転機は同年3月。吉川さんらが先進地の状況を学ぼうと、佐藤さんを訪問した。その際、佐藤さんから「藍は祖父が若い頃に京都で譲り受けた品種」との説明を受けた。衝撃を受けた吉川さんは水藍を京都で復活したいとの思いを佐藤さんに訴え、種を譲ってもらうことになった。
翌月には亀岡市内の約1アールの畑で栽培をスタート。地元のNPO法人と連携しながら、休耕田を活用して年々栽培面積を広げている。昨年は約20アールで栽培し、収穫した藍でTシャツ300着ほどが染められる量のすくもを作った。
栽培している亀岡市保津町にちなみ、「京保藍」と名付け、普及を図っている。今月18日には市内で琉球藍と組み合わせた藍染ファッションショーを開いた。今後は栽培面積をさらに広げてすくも生産を増やすとともに、食品加工などにも活用する。
佐藤さんは「藍についてしっかりと勉強し、今後も京都で頑張ってほしい」とエールを送る。吉川さんは「徳島は京都の藍の恩人で、復活できたのは奇跡。藍を使って地域を盛り上げ、藍染が身近なものになるよう努めたい」と意気込んでいる。