政権交代が実現した2009年8月の衆院選を伝える当時の新聞コピー

 民主党が自民党から政権を奪還した衆院選の投開票日から、30日で10年になる。

 遠い過去のように感じるのは、民主党政権が短命に終わり、勢力が一気に衰退したためだろう。対照的に安倍晋三政権による「一強」が長期化し、政治の景色は大きく変わった。

 同じように様変わりしたのが地方の姿だ。この10年、民主、自民両政権とも地方重視を掲げながら、人口減に拍車がかかっている。失望が広がり、政治との距離はどんどん遠ざかっている。

 2007年度から4年間、県政担当として国政選挙を取材した。その中で忘れられない光景がある。09年の衆院選より2年前の07年に行われた参院選だ。

 民主党の小沢一郎代表(当時)は那賀町の小さな集落である平谷地区にヘリコプターで訪れ、演説した。小沢代表は、小泉純一郎前首相による改革で都市との格差が拡大した、地方の不満を掘り起こす戦略で臨んでいた。平谷地区は前年、郵便局の集配業務が廃止され、「地方切り捨て」の象徴として選ばれた。

 当時の新聞をたぐってみる。小沢代表は「どこに住んでいても安心した生活を送ることができるか、守っていくことができるかが問われている」と訴え、住民が期待する様子が掲載されている。那賀町では、民主党新人候補の得票率が54・41%に上り、県内では無党派層の多い都市部の石井、北島、藍住町に次いだ。

 同様の現象は全国各地で起き、民主党は、徳島を含む「1人区」で圧勝。「地方の反乱」「地方の一揆」と言われた参院選の流れが、09年の衆院選へとつながった。

 投票率が当時の熱気ぶりを示している。県内は小選挙区制度が導入された1996年以降で最高の70・11%を記録した。政権交代を実現させたのは、自民党の地盤とされた地方の票だった。

 期待とは裏腹に、政治は応えられなかった。「地域主権」を掲げた民主党政権は迷走し、12年の衆院選で惨敗。代わった安倍政権も「地方創生」を打ち出して担当大臣を設けたものの、思うような成果は出ていない。

 東京への一極集中は止まらず、徳島県の人口は2009年からの10年間で、5万8千人減っている。1999年からの10年間より約2万人も多い。

 「地域主権」「地方創生」。言葉だけが躍り、選挙対策だったと見られても仕方がないだろう。

 一方、選挙結果を左右してきた地方の影響力が低下している。各地で人口減による選挙区の統合が進み、徳島県でも衆院選小選挙区は3から2になり、参院選選挙区では、高知県との合区になった。地方の議員数が減れば、全体の選挙結果に与える力や、国政での発言力は弱まる。今後もこの傾向が加速すれば、選挙対策にすら、目を向けられなくなるかもしれない。

 投票率の低下も深刻だ。7月の参院選では、徳島・高知選挙区に徳島を地盤とする候補者がおらず、徳島県内の投票率は38・59%と全国最低だった。地方に広がる失望と諦めが最も色濃く表れたのが徳島だったと言える。

 10年前に包まれた高揚感がうそのように、冷めた空気が漂う。政権の本気度のなさと政策の乏しさが地方の衰退を招き、「失われた10年」のように感じる人もいるだろう。10年間の「熱気」と「冷気」を肌で感じると、政治の責任の重さを痛感する。

 私たち有権者も、冷めたままでいいわけではない。政治家や政党を冷静な目で見つめて一票を投じていかなければ、暮らしや地域は変えられない。

 これ以上、政治との距離を遠ざけてはならない。かつて時の首相が選挙期間中に無党派層の投票が伸びないよう「寝ててくれればいい」と発言したことがあった。無関心で得するのは、誰よりも、政権や政治家である。(卓)