日本代表の主将として出場したW杯第1回大会の思い出を話す林氏=徳島市内

 1987年の第1回W杯で日本代表の主将を務め、第2回大会にも出場した徳島市出身の林敏之氏(59)。今回のジョージア代表の事前キャンプ誘致にも関わった林氏にW杯出場時の思い出や日本大会の意義を聞いた。

 ー第1回大会の思い出は。

 当時はみんながアマチュアで、代表選手も遠征前は残業で忙しかった時代。W杯に合わせてピークを持っていくことができなかった。それでも初戦の米国戦は18対21。勝てるとしたらこの試合だった。キックがもう少し決まっていれば流れが変わった可能性もあった。

 ー第2回大会でW杯初勝利を収めた。

 海外のトップチームと同じことをしても勝てず、日本はどう戦うのか模索していた。形をつくりきれない中、ジンバブエに52対8で勝った。参加16チームの下位同士の戦いだったが、こんなに点が取れるのか、という勝ち方ができた。

 ーW杯がアジアで初めて日本で開かれる。

 欧州では8万人のスタジアムが満員になるほどラグビーが確立されている。これが人口の多いアジアに広がらないと本当の意味で世界のスポーツにならない。ラグビー文化をアジアに根付かせる大会になってほしい。

 ージョージアは日本国内ではグルジアの名で知られていた共和国。代表チームの事前キャンプ誘致に尽力されたと聞く。

 キャンプの誘致を目指していた徳島県から相談を受け、海外のラグビー関係の知り合いを紹介した。複数候補があった中で挙がってきたのがジョージア。向こうもキャンプ地を探していてマッチした。僕は人を紹介しただけで、あとは県の方が頑張って動いてくれた。

 ーW杯の見どころや日本代表への期待は。

 できれば会場で試合を見てもらいたい。W杯は特別な場。極限まで自分を追い込んだ選手同士が戦う試合が面白くないわけがない。日本は世界ランキングが一時9位に上がり、面白くなってきた。1次リーグを突破し、さらに上を目指してほしい。

 

 はやし・としゆき 城北高、同大を経て、神戸製鋼では日本選手権7連覇に貢献した。ポジションはロックで日本代表38キャップ。当たりの強さから「壊し屋」の異名で知られた。1996年に引退。現在は2006年に設立したNPO法人ヒーローズの会長として、ラグビーを通じた人間教育や競技普及に努める。神戸市在住。