さまざまな国籍や世代の人たちが集う鮎喰識字解放学級=徳島市の鮎喰老人ルーム

さまざまな国籍や世代の人たちが集う鮎喰識字解放学級=徳島市の鮎喰老人ルーム

中原さん(右から2人目)と学級の活動計画を話し合う人たち=鳴門市人権福祉センター

中原さん(右から2人目)と学級の活動計画を話し合う人たち=鳴門市人権福祉センター

 「女性に教育はいらない」。かつては日本でまかり通っていた言葉だ。今から40年近く前、徳島県内で初めてとなる識字学級が誕生した。設立を働き掛けたのは、差別による貧困や戦争、そして女性差別によって、子ども時代に読み書きを学ぶ機会を奪われた女性たちだ。その後、県内各地へ広がった識字学級でも、学び手の多くは女性だった。彼女たちにとって文字を学ぶことは、自信と人生を取り戻す大切な時間だった。

 4日午後7時すぎ、徳島市南島田町の住宅街にある「鮎喰老人ルーム」と名付けられた小さな建物に、続々と人が集まってきた。7時半から始まる「鮎喰識字解放学級」の授業を受けるためだ。

 この日の参加者は、22人。高齢者、外国語指導助手(ALT)のほか、「共学者」と呼ばれる学校教員や高校生の姿もあり、国籍も世代も多様だ。小学校の国語の教科書にも採用されている小説「一つの花」(今西祐行作)を教材にして、出てくる漢字を書くプリント学習に取り組んだ。

 識字学級は、1960年代に福岡県の炭鉱地帯で始まったとされる。徳島県内では、75年に設立された鮎喰識字解放学級が第1号となった。

 開設に向けて徳島市に働き掛けたのが、部落解放同盟鮎喰支部の女性たち。部落差別によって経済的に不安定な状況に置かれた家庭では、子どもは貴重な労働力だった。中でも女子の教育は後回しにされた。

 設立から43年間、通い続ける学級長の女性(93)がいる。「みんな車の免許も取りたいし、バスの行き先も読めるようになりたい、と言うてね」と振り返る。今では多くの仲間は鬼籍に入った。

 徳島市は当初、「始めてもすぐに辞めるでしょう」と後ろ向きだった。粘り強く交渉を重ね、5年かけて開設にこぎつけたという。

 最初の頃は20人ぐらいが出席し、ほとんどは女性だった。学級長の女性は、7人きょうだいの長女。自分より年下の子守のため、小学校にもあまり行けなかった。「今日は学校に行けるかなと思っても、親が田んぼに行くと言ったら、子守をせなあかんのね」。一方で、兄は学校に通っている。「女の子は勉強せんでもよろしい、ということだったんでしょう」とぽつりと言った。 

 「私が子どもの頃、小学校からもらってきた通知を母に見せても、読めなくてね」。鳴門市人権福祉センターで開かれている「市場・川崎識字学級」の代表を務める中原サヲ江さん(66)=鳴門市、部落解放同盟県連合会女性部長=は、92歳になる母について、こう語る。

 母は小学1年生の途中までしか学校に行っていない。子守や家の手伝いをする必要があったためという。

 当時は事情も分からず、母に対し、「なぜ読めないのか」と腹立ちや情けなさが入り交じった感情を抱えていた。父は県外に出稼ぎに行っており、不在がち。カタカナばかりの「サヲエ」だと教えられていた自分の名前が、「サヲ江」と知ったのも、高校の入学手続きのために当時必要だった戸籍抄本を取り寄せた時だった。

 90年に市場・川崎識字学級ができると、中原さんの母も通い始めた。最初のメンバーは20人ほどで、やはり女性ばかりだった。

 中原さんは「『字を知らないことを周囲に知られたくない』と来ない人もいたし、参加を家族に反対される人もいた。特に男性はメンツみたいなものがあって、『字が読めん』となかなか言えなかった」と話す。学級ができても、全ての人が通えたわけではなかった。

 識字学級が始まってから、部落差別が母から読み書きを学ぶ機会を奪い、そのために母が苦労してきたことを改めて実感した。「それまでの母に対する思いについて、『すまない』という気持ちになりましたね」

 識字学級に通い始めて、何が一番変わったのか。鮎喰識字解放学級の学級長の女性に尋ねると、「それまでは『こんにちは』とあいさつぐらいしかせんかった場で、いろいろ話せるようになった」と返ってきた。

 文字を習得すると、生活は変わる。さまざまな書面での手続きができる。飲食店のメニューも街角の看板も読める。耳で覚えていた言葉を辞書で確認できる。自分の思いや体験をつづれる。自分を取り巻く世界との関わり方が変わる。

 多くの識字学習者は「世間が明るくなった」と表現する。この言葉は鮎喰識字解放学級の歩みをまとめた冊子のタイトルにもなっている。

 「識字学級で学んでいるのは母語。これは、アイデンティティーを取り戻すことで、外国語を学ぶこととはまったく意味合いが違うんです」。そう話すのは、77年から共学者として学級運営に関わる弘瀬正彰さん(68)=徳島市=だ。「学習していること自体が、自信になる」と強調する。

 学級長の女性は80年、調理師免許を取った。「学校に行かんかったから、賞状をもらったことがない。仕事に使うわけでもないけど、一回、もらってみようかと思ってね」。免許は識字学級の教室の壁に、今も掛かっている。

 メモ 徳島県内の識字学級は、鮎喰識字解放学級を皮切りに広がり、ピーク時の1997年から2003年には20学級があった。現在は徳島市や阿南市など5市1町に15学級がある。10年度の全国識字学級実態調査(同調査委員会)によると、徳島県の学習者のうち、女性は86・6%。全国では女性が77%、男性23%で、女性が3分の2以上を占める。

 <共学者>識字学級に講師として参加する学校教員や行政担当者、地域住民ら。教えながらも共に学ぶという観点から、学習者と区別してこう呼ばれる。

外国人らにニーズ 高齢化進み活動多様に

 県内の識字学級では開設当初からの学習者が高齢化する中、活動が多様化している。全国でも、さまざまな形の識字学級が増えている。

 市場・川崎識字学級には開設当初からの学習者はもういない。他界した人もいるし、高齢になって通えなくなった人もいる。現在は60代の参加者が中心で、学校と一緒に取り組む人権学習を中心にした活動をしている。「今は差別をなくす仲間を増やすことを目的にしている」と中原サヲ江さんは話す。

 鮎喰識字解放学級は国際化が進みつつある。ALTが定期的に出席しているほか、結婚で移り住んだフィリピン人の女性や、外国人研修生が来ていた時もある。共学者の弘瀬正彰さんは「44年間守ってきた学びの場を、どうにか続けていきたい」と言い、「水曜日午後7時半に、日本語を学びたい人は誰でも気軽に訪れてほしい」と呼び掛ける。

 識字教育に詳しい部落解放・人権研究所(大阪市)の棚田洋平事務局長は「全国でも若者ら新しい学習者を受け入れる識字学級があるほか、外国人住民向けの地域の日本語教室や子ども・若者の学習支援も『識字』的取り組みだ」と話す。

 その上で、「被差別部落における識字学級は、権利・人権保障のための取り組みであると同時に、社会の在り方を問うものだった。それは、外国人住民や若者への支援にも通じる」と、識字教育の重要性を強調した。

発展途上国の教育男女格差深刻 SDGsで解消目指す

 教育における男女格差は日本では縮小してきているが、開発途上国では読み書きの教育の機会が奪われている女性が多数、存在する。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)によると、2016年時点で、世界の15歳以上の人口の14%に当たる約7億5千万人が非識字の状態にある。その3分の2が女性だ。

 05年から13年の調査では、世界の識字率は男性89%、女性81%で8ポイントの開きがある。南アジアでは男性76%、女性57%で19ポイント差、サハラ以南のアフリカでは男性69%、女性52%で17ポイント差がある。

 15年に国連総会で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」では、識字教育の浸透と教育における男女格差の解消が教育分野の目標に含まれている。

 編集後記

 今回の取材のきかっけは、部落解放同盟県連合会女性部が「男女共同参画立県とくしまづくり賞」の受賞団体の一つに選ばれたことだった。女性部が識字学級の普及に努めていた事実を知り、15年ほど前に識字学級の展示会を取材して小さな記事を書いたのを思い出し、改めて取材をしたいと考えた。

 鮎喰識字解放学級が作った冊子に収められた、学級長の女性の作文を読んだ。13歳で大阪に働きに行ったことや、戦時中の苦労が5ページにわたって言葉を尽くしてつづられていた。文字を通じて、その人の経験は時代を超えて、読む人の心に届く。学びの場の保障は大切だ。

 一方で、中原サヲ江さんが言うように「字を知らないことを自ら認めないと、識字学級に通えない」という事実がある。認めにくいのは、社会の理解が乏しいからだろう。読み書きに困難を抱える人に対するまなざしに、偏見が混じっていないだろうか。問われるべきなのは、読み書きを学ぶ機会を奪った差別の構造であり、そうした状況をつくった社会である。