鳴教大セクハラ訴訟の訴状の写し。元教授は手紙に、女性を性的におとしめるような文言を書き連ねていた

3月8日は「国際女性デー」

 「この人との関係が壊れたら研究者への道が閉ざされるかもしれない。私自身がんじがらめにされていた」。40代の山野千春さん(仮名)は約20年前、鳴門教育大大学院時代に教授から執拗に受けたセクハラについて口を開いた。1年間にわたる「地獄の生活」。思い出すと今でもぞっとする。

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 元教授は修士号の取得を指導する担当者だった。「頭の中にはあなたしかいない」「かわいくてどうしようもない」。恋文のような手紙を頻繁に差し出され、言いようのない不気味さを感じた。

 その上、2人きりになる研究室での作業を命じ、席を外すと「どこにいた」と問い詰める。買い物やトイレでわずか10分間、席を立つのさえ怖かった。帰宅後や休日にも電話があり、出なければ「男といたのか」と疑われた。「大学に男を探しに来ている」とも言われた。

 当時セクハラは職場で起きるものとされ、「ストーカー」の概念も浸透していなかった。元教授は膨大な量の課題も出し、ミスをすると「研究者になるのは無理」と責めた。屈辱感を味わいながらも何が起きているのか分からず「できない自分が悪い」と思った。

 大学院2年の冬、体が悲鳴を上げた。下痢や吐き気で食事を取れない状態が1週間続いた。朦朧とした意識の中で「妊娠したのではないか」とさらにセクハラ発言を投げ掛けられ、山野さんの中で「何かがプチっと切れた」。

 「辞めてやる」。全てを両親に打ち明けると「そんな所に行かなくていい」と言ってくれた。元教授と顔を合わせなくなると体調は改善。尊厳を踏みにじられた悔しさがこみ上げてきた。

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 進路の実権を持つ元教授の支配下で、自分に非があると思い込まされ無力化していた。離れてそう気付くと、自分に何が起きたのか知りたいと思った。

 大学に告発したものの、権威ある教授が加害者とあって腰は重かった。十分な調査や処罰は期待できず、提訴に踏み切った。

 最高裁まで争い、提訴から約3年後に勝訴が確定。元教授のセクハラ行為は全面的に認められた。しかし、裁判の負担は重かった。誰でも傍聴できる法廷で後ろ指をさされないよう、服装や言動に気を使った。

 裁判の後、結婚して娘をもうけた山野さんは「女性というだけで不利益を被る社会はもうたくさん。自分のような思いは誰にもしてほしくない」と言う。女性の尊厳が守られ、自由に生きられる社会を心から望んでいる。

 鳴門教育大セクハラ訴訟 当時60代の指導教授から約1年間にわたってセクハラを受けたために体調を崩し、進学を断念させられたとして、1996年に元大学院生の女性(20代)が慰謝料550万円の支払いを求めて徳島地裁に提訴した。元教授は「化粧が濃い。彼ができたか」などと書いた手紙を繰り返し渡した上、女性の行動を監視、制限するなどしていた。98年の判決で、地裁はセクハラを認定し、元教授に220万円の支払いを命じた。元教授の控訴、上告が棄却され、99年に女性の勝訴が確定した。