春の便りがまだ届かない山中で、生まれて1年にも満たない子鹿が聞いた。「お父ちゃん、春ってどんなもの」「春には花が咲くのさ」「お母ちゃん、花ってなあに」「きれいなものよ」

徳島市でソメイヨシノが開花した。去年より11日、平年よりも5日早い花の便りである。にわかに春めいて、県内は暖色に染まっていくのだろう。童話作家・新美南吉の「里の春、山の春」の子鹿を思う

ひょっこり里まで下りてきて、おじいさんと出会い、子鹿は小さな角に桜の小枝を結んでもらった。喜び勇んで山へ帰ると両親が口をそろえて-「それが花だよ」「その花がいっぱい咲いて、気持ちのいい匂いのするところが、春さ」

数ある名所の中で、来月4日には勝浦町の「さくら祭り」に、台湾から豪華クルーズ船の観光客2千人が来る予定。気の早い桜が果たして持つのか、少々心配だが、それは花に任せ、心づくしの歓迎で阿波路の春、その気持ちよさを持ち帰ってもらおう

春は程なく、子鹿のすむ山も覆い、遠目にはぼんやりとしていた木々も、やがて生気を取り戻す。食害も本格化するか。生き物は、かわいいばかりじゃないけれど

楽しみは春。厳しい冬あってこその春。自然の造化の妙に、つくづく感心する季節である。<春の呼吸(いぶき)のゆくところ/空に蝶(ちょう)舞ひ鳥歌ふ>土井晩翠。