廣田家の報告書に書かれたブーメランと考えられる絵(中央

先光さんが約30年前にオーストラリアで購入したブーメラン。アボリジニが使用していたという(先光さん提供)

 江戸後期、オーストラリアの海賊船が牟岐沖に現れた「牟岐浦異国船漂着事件」で、徳島藩士廣田勘左衛門がまとめた警備内容の報告書に、オーストラリア先住民アボリジニらの生活道具ブーメランの形をしたユニークな絵があることが分かった。県内の歴史研究家は「国内の史料に初めて登場するブーメランではないか」と注目している。 

 報告書は、古文書「文政十二年十二月異国船牟岐浦漂着一件留書(とめがき)」で、海賊船が1830年1月15日に現れた時、藩側が行った徳島城への連絡や現地での警備態勢、藩士と地元住民が協力して撃退させるまでの経緯などが記されている。

 ブーメランに関する記述は、藩士らが船に乗って異国船に接近し、その船の乗員から米や水を要求された場面で、こう書かれている。「さて異人より何やら(絵)このとおりの物をこちらの船に投げ込んできた」。「このとおりの物」がブーメランと見られる。

 この物は「く」の字に曲がった棒のような絵で表され、報告文の前後の意味からもブーメランと推測できる。ただ、具体的な説明はなく、素材や大きさなどは不明だ。藩士らはガラス製の絵馬や鈴も見せられた後、相手に返している。

 徳島城博物館の根津寿夫館長によると、絵を古文書に記す例は全国で見られるとした上で「事件の状況から見てブーメランと判断できる。県内の史料で登場するのは初めて。江戸時代の人が、えたいの知れない物を予断を排して客観的な目で生真面目に図示したことが分かる」と話している。

 郷土史家高田豊輝さん(81)=徳島市勝占町中須=も「形からブーメランだろう。異人は米や水と交換してほしいと願って投げてきたはずで、藩士は値打ちがある品物と信じて記録したのだろう」と分析する。

 競技愛好者でつくる日本ブーメラン協会(事務局・東京)の先光吉伸代表理事によるとブーメランが日本に入ったのは半世紀前ごろで、観光客が土産で手に入れたのが最初と考えられる。「古文書の絵がブーメランなら日本人が初めて見た物になるだろう」と話す。

 県立文書館の徳野隆館長は「日豪の出会いは従来、豪の捕鯨船が寄港した1831年とされるが、牟岐の漂着事件で約1年さかのぼる可能性がある上、古文書の絵が本当にブーメランなら郷土史の新発見になる」と話している。 

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 県立文書館で10月27日まで開かれている企画展「阿波へ異国船がやってきた」は廣田家の報告書などを参考に構成されている。