米国出身の詩人アーサー・ビナードさんは著書『もしも、詩があったら』(光文社)で提案する。<「もしも」と言っただけで、まわりの世界が、ちょっと違って見える>

 なるほどその通りで、「もしも」の力は、その反対語を想起すれば、たちどころに分かる。最も遠い言葉は、ビナードさんが指摘するように思考停止の「しかたがない」か、あるいは諦めの「無理」か

 紹介されている、いくつもの詩や物語の中にトルコの昔話がある。聖人であって道化師という当地では有名なホジャじいさん、死の床にあって妻に命じたという。「どうか涙を拭いて、一番きれいなドレスを着ておくれ」

 あなたが苦しんでいるのに、と嫌がる妻に種明かし。「もしも、お前が死に神の目に美人と映ったら、おれの代わりにお前をあの世に連れていってくれるかもしれん」。随分ひどい

 話はこんな落ちで閉じるが、現実はこの先がある。死に神はどちらを選ぶのか。ホジャが「もしも」恥じらいから憎まれ口をたたいたとするなら、妻を行かせはするまい。意地悪な筋書きも夫婦愛の物語へと転換可能だ

 人生は常に続きのある物語である。今、困難に苦しんでいても、明日の筋書きは書き換えることができる。過去を悔やむためなら意味はないけれど、未来の自分を探す時「もしも」は必ず力になる。