車や鉄道はなく、道も十分整備されていなかったろう。1884年、オランダ人土木技師ヨハニス・デ・レイケは、吉野川流域を河口から三好市山城町まで3週間ほどかけて踏査した

 道中、洪水を目の当たりにした。砂岩層の阿讃山脈から大雨のたびに流れ込む土砂を防ぐため、吉野川北岸の河川数カ所に砂防ダムを建設している。美馬市脇町の大谷川にある「デ・レイケ堰堤」はその一つだ

 明治政府に招かれ、30年にわたり河川整備に当たったデ・レイケ。各地にその顕彰碑が残る「治水の父」は、急流河川の多い富山県に赴いた際にこう言ったそうだ。「川といわんよりは寧ろ瀑と称するを充当すべし」。瀑とは滝のこと。日本の川の治水が、いかに難しいかを物語る言葉として今に伝わる

 残念ながら、それを裏付ける災害になってしまった。台風19号による堤防決壊は19日時点で7県の71河川130カ所に上る

 上流に降った雨は濁流となって下流へ向かい、降雨より少し遅れて洪水を引き起こす。関根正人早稲田大教授は「河川が氾濫するかどうかは、上流でどのような強さの雨が降ったかにより決まる」と指摘する

 デ・レイケは、上流の砂防対策を重視していたとされる。荒れた山に植林するなど、治山にも目を向けていた。明治の先人に学ぶべきことがまだあるかもしれない。