中本浩平さん

 目覚めたらプレー映像が脳裏に焼き付いている。決勝までの1週間、そんな朝が続いた。責任感の強さから常勝軍団を預かる重圧をまともに受けた。しかし、チームは得意ではないレシーブで粘り、成長の跡を刻んで見事に戴冠。「ほっとした」と相好を崩した。

 母校・岩倉中には当時三つしか部活動がなく「消去法的に」バレーボールを選んだ。脇町高、徳島大でもプレーするうち「バレーを仕事にしたい」と思うようになり高校の保健体育教員に。池田、鳴門、海部などで指導者を務め、今春、県教委の強化指定校・城南の監督に就いた。

 「試合に出る出ないに関係なく、全員を平等に見る」との指導方針は中学3年時の経験に基づく。県選抜チームに選ばれたものの控えの一人。だが練習で手を抜くことはなかった。ある試合で突然、監督にピンチサーバーを命じられた。「見てくれていた」との感激は忘れられない。

 苦い経験もある。鳴門高での1年目、いきなり県総体を制した。「さらに強くしたい」と厳しい指導に徹したところ退部者が相次いだ。「勝たせたい一心なのになぜ」。悩み、苦しんだ日々を思い出し、「当時は矢印が一方通行だった。やはり双方向でないと。だからこまめに叱るし、褒める」。コミュニケーションこそが指導の肝と話す。

 決勝前、苦戦した準決勝の映像を選手に見せ、レシーブを見直させた。「仲間が頑張って拾ったボールを生かす。その思いが尊い。バレーは心をつなぐスポーツ」。自身が考える競技の魅力をコートで表現し、頂点に立った選手に深い感謝を寄せた。

 美馬市脇町で家族4人暮らし。38歳。