講演旅行で来県し、阿波池田駅に降り立つ(右から)吉川英治、大佛次郎、菊地寛ら(1936年2月10日付の徳島毎日新聞)

講演旅行で来県し、阿波池田駅に降り立つ(右から)吉川英治、大佛次郎、菊地寛ら(1936年2月10日付の徳島毎日新聞)

徳島時代のモラエス

徳島時代のモラエス

モラエス7回忌のため来県した佐藤春夫(左)と、出迎える花野富蔵=小松島港(1935年6月28日付の徳島毎日新聞)

モラエス7回忌のため来県した佐藤春夫(左)と、出迎える花野富蔵=小松島港(1935年6月28日付の徳島毎日新聞)

 徳島市で晩年を過ごしたポルトガルの文人モラエス(1854~1929年)について、著名な作家が記した文章を一堂に集めた企画展「文学者の見たモラエス」が、8日から徳島市の県立文学書道館で開かれる。エッセーや小説など16点を紹介し、徳島を愛したモラエスの生きざまを掘り下げる。来年2月9日まで。

 「四国雑記」として紀行文を「婦人公論」に載せたのは、小説家菊池寛。1936年2月、吉川英治、大佛次郎ら作家7人による講演旅行で徳島を訪問した。「阿波は美人系にして、阿波女の称あり。モラエスをして、晩年を異郷に自適せしめたるもまた、阿波女の魅力にや」とした上で、モラエスが徳島をついのすみかとしたのは、おヨネやコハルら徳島の女性の魅力に引き寄せられたのだと分析した。

 1935年に徳島市であったモラエス七回忌に出席した作家佐藤春夫は「徳島見聞記」でしのんだ。「モラエスは徳島の緑を愛して、第一印象を身体全体にしみ入るような緑とも言い、海中の魚が塩の味を忘れるようにその緑に慣れ親しんで来てしまったと言っていると聞く」と記し、徳島の自然がモラエスを癒やしたと指摘した。作品の多くを翻訳した花野富蔵が出迎える写真も展示される。

 2月に死去した日本文学研究者ドナルド・キーンさんと、作家司馬遼太郎の対談で出たモラエス評も面白い。口をそろえて徳島文学として最高のものだと絶賛している。8月に死去したドイツ文学者池内紀さんは2003年発表の著書「二列目の人生 隠れた異才たち」で取り上げ、モラエスの客観的で鋭い観察眼を評価している。

 郷土出身の文学者では、徳島市生まれの作家瀬戸内寂聴さん(97)や阿南市生まれの作家佃實夫のモラエスに関する記述が並ぶ。

 この他、新田次郎や遠藤周作、志賀直哉の文章を紹介。モラエスがポルトガルで刊行した「徳島の盆踊り」(1916年)、「おヨネとコハル」(23年)の初版本など著作4点と、海軍士官時代にマカオで詩を書いた便せんなど11点の遺品も展示される。