約2メートル間隔で見つかった礎石や礎石痕=徳島市一宮町の一宮城跡

 徳島市教委は7日、一宮町の県史跡「一宮城跡」にある「曲輪」(とりで)の一つ「明神丸」で、建物の土台になる礎石や礎石痕が見つかったと発表した。16世紀に阿波に入国した蜂須賀氏が山頂からの眺望を楽しむ集会所として整備した可能性があるという。近世初頭の山城でこうした建物跡が確認されたのは全国で初めて。

 一宮城跡で礎石が見つかったのは本丸に続いて2カ所目。明神丸は本丸の東北東約100メートルに位置し、敷地面積は8メートル四方の64平方メートルと推定される。礎石痕は碁盤の目のように約2メートル間隔で25カ所あり、うち17カ所で礎石が発掘された。

 市教委は付近から瓦などが出土していないため、板ぶき屋根の建物だったとみている。

 徳島平野を望む建物の北側には「縁」(縁側)を設けていたとみられる礎石が五つ確認された。反対の南側には玉石が敷かれ、丸い石が飛び石のように配置されていることも分かった。

 滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「北側に縁を持つ建物とみられ、明神丸からの眺望を意識した集会所のような建物だったと考えられる。玉石が敷かれ、飛び石が配置されていることから、わび的な空間を備えていたのではないか。近世初頭の山城でこうした例はなく、貴重な発見だ」としている。

 本丸では昨年、御殿跡とみられる礎石が見つかった。本丸の石垣の組み方が徳島城に似ており、蜂須賀氏の建設とみている。

 9日に現地説明会がある。午後2時、3時の2回。雨天決行。駐車場は一宮小グラウンドと一宮コミュニティセンター。

 一宮城跡 鎌倉時代の阿波国守護・小笠原氏の一族である小笠原(一宮)長宗が1338年に築城した県内最大級の山城。本丸の標高は144メートルで、城域は東西約800メートル、南北約500メートル。一宮氏が居城とし、長宗我部元親の侵攻で落城。1585年に豊臣秀吉が四国を平定し、蜂須賀家政が阿波国主として入城した。一国一城令によって1638年に廃城。1954年に県史跡。