【第10回】ワイドショー 想像力を寛容な方向に
小室哲哉さんが引退するそうだ。不倫報道を受けてのことらしい。テレビをつけるとワイドショーでは、すねに傷持つ芸能人たちが、ああだこうだと難癖をつけている。彼らは、自分のことを棚に上げるのだけは得意だ。自分だけは正しいという顔をしている。街頭インタビューも見苦しい。
記者会見の場で、高次脳機能障害に苦しむ妻の話題を出す必要があったのか、不倫をごまかしているだけだろう、などと説教をたれている。今頃、テレビに映る自分を見返して、赤面しているに違いない。
去年末に引退した元横綱日馬富士のときもそうだった。年下の力士に暴力をふるったのだという。またもやメディアでは、横綱の品格がどうのという話。それが行き過ぎて、白鵬の取り組みに関しても批判が飛び火してしまう。彼らは日本人横綱が出てこないのが、とにかく歯がゆいのである。
別にテレビのコメンテーターが悪いのではない。それを作っているメディアでもなければ、報道するマスコミでもない。責めるべきは、そういった事象にいちいち反応してしまう僕であり、あなた方だろう。
僕やあなたに足りないのは想像力だ。老境にさしかかろうとする枯れた音楽家が、借金にまみれながら障害を持った妻の介護をする。その苦労をどうして考えようとしないのだろう。人を救えるのは人だけである。それが男であれば、相手が女になりやすいのは至極当然のことだ。逆もまた然(しか)り。彼にとって件(くだん)の彼女は、唯一の希望であり、よりどころであったろう。
横綱の品格とは、何だろう。そんなものは初めからないのである。あるとしたら、それは”強さ“だ。品格とは強さ。そこにいい勝ち方も卑怯(ひきょう)な勝ち方もない。品行方正、清廉潔白な世界から強者(つわもの)は出てこない。一等上に立つ人間は、どんな世界でも剣呑(けんのん)で、だからこそ色気がある。僕は元横綱朝青龍が大好きだった。
我々は皆一丸となって、この世界を生きにくくしようとしている。誰がこんな潔癖な社会にしてしまったのだろう。不倫をしていいはずがない。けれど、いいはずがないからこそしてしまうのが、本当の恋慕だ。暴力が悪であるのは当たり前の話だ。けれど、理性を本能が飛び越えることなんて、誰にだってあるはずだ。人は間違う。葛藤することが罪だとするなら、僕たち脚本家の作る物語がなくなってしまう。
何度も言うが、僕たちから寛容さがなくなっているのは、想像する力が欠如しているからである。今年もさまざまなゴシップが日本の上を飛び交うだろう。そんなとき、どうか皆さんの想像力が寛容な方向に働きますように。(徳島県三好市出身)=月1回掲載