皇位の代替わりの重要な祭祀「大嘗祭」に供えられた麻織物「麁服」は、山崎忌部神社(吉野川市山川町)の氏子の織り女7人が織った。そのうち3人は高校生が務めた。古代より続いた誇らしい伝統。織り女を務めるチャンスは一生に一度あるかどうか。家族から伝統文化の大切さを教えられ希望した3人は「昔の人々の気持ちを想像しながら、真心を込めて織り上げた」と、重責を担った4カ月間を笑顔で振り返った。

麁服を制作した織り女のうち、3人の高校生。(左から)木本涼菜さん、白山晴菜さん、福本恵さん=吉野川市山川町

 「麁服を織る女の子、探しているみたいよ。やってみたら」

 川島高1年の福本恵さん(16)は母親に勧められた。「あらたえ」は川島高校の校誌の名称にも使用されていたため知っていたが、それほど詳しくなかった。「土地に根付く行事と教えられて興味が湧いた。麁服とは何だろう。体験すれば分かるかもしれないと思った」

 川島高2年の白山晴菜さん(16)も母親からエールを送られた。細かい作業が大の苦手で自信がなかったが「責任感を持って織り上げたい。人生で一度きりだし」と覚悟を決めて参加した。

 脇町高2年の木本涼菜さん(17)は、平成の大嘗祭の麁服調進に曽祖父が携わったゆかりがある。麁服の話は昔から聞いていたが、自分とは縁がないと思っていた。しかし、時の巡り合わせとも呼ぶべきチャンス。「最初で最後。織ってみたい」と手を挙げた。

 3人は、6月から8月まで休日を中心に機織り機の基本操作を習い、麻糸が完成した9月から、いよいよ本番の反物作りに入った。操作に慣れたとはいえ、作業が2、3時間も続くと、目が痛み、肩が凝った。

 作業中、縦糸がよく切れ、中断を余儀なくされた。みんなが「えっ、またー」とため息をついて途方に暮れる中、白山さんが大活躍した。両端の糸を素早く見つけ、手際よく結び直した。普段は細かい作業が苦手なはずなのに、織り女を務めている時は、不思議な能力が発揮され、本人も信じられないほどだった。福本さんと木本さんは「まるで神業だった」。

 社会人や大学生の織り女に交じった女子3人は、まるで姉妹のように仲良くなり、困った場面では必ず助け合った。厳粛な作業だが、福本さんは「4カ月間、ずっと楽しかった」と笑顔を見せた。

 10月27日、完成した麁服が唐びつに入り、皇居に向けて山崎忌部神社をたつ光景を見て、織り女たちは口をそろえて言った。「真剣にやり遂げたので、悔いはない。美しく光る最高の仕上がりになった」

 厳かに営まれた大嘗祭。3人は、新聞やテレビニュースを見て、麁服の重みを再確認した。共通するのは伝統文化に対する熱い思いだ。

 福本さんは「技術を残したい。麻布を藍で染めると、もっと徳島らしい伝統になる」と柔軟な発想で提案。木本さんは「実際に経験して思ったことを次世代に語り継ぐ必要があると思った」と声を弾ませた。

 白山さんは「やる気と集中力が身に付き、麁服作りを通じて自分が変わった気がした。古里が一層好きになった」と晴れやかに語った。