群馬県高崎市。少年の家は材木屋だった。裏の倉庫の物干し台に上がって赤城、榛名、妙義の上毛三山を望む。その背後、はるか遠くに控えるのは浅間山。燃えるような夕焼けを、飽きもせずに眺めていたという

 気がつけば、星が瞬いていた。長じて一国の首相となる中曽根康弘少年。読破した書物は付け足しにすぎず、内なる哲学は上州の自然に育まれたのではないか。こんな記述が自著『自省録』(新潮文庫)にある

 縁を大切にする人だった。<縁を結んだら、その縁を尊び、その縁に随う>。手帳の最後のページには毎年必ず「結縁、尊縁、随縁」と書いて生き方の基本とした

 レーガン米大統領(当時)との「ロン・ヤス」関係はことに知られる。タカ派と目されてはいたけれど、1982年に首相になるや、中韓との関係改善を果たしている。韓国語を勉強するなど準備も周到。両国の首脳と、個人的な信頼関係を築いた結果だ

 「戦後政治の総決算」を掲げ、歴史の中での自分の役割を意識し続けた。だから近年の政治を憂う。<目立つのは、妙な小細工ばかり弄する出世主義の集団です>

 持論の憲法改正はかなわなかった。業績には毀誉褒貶がある。それでも中曽根さんは胸を張って弁論を始めるだろう。それだけの自負があるはずだ。歴史の法廷のそんな光景が目に浮かぶ。