「ながら勉強」というのがある。音楽やラジオを聞き「ながら」の勉強法である。効率のほどは人によって違う。小欄は不得手だった。どちらかに引きずられてしまうのである

 どちらか、といっても勉強にいくことはまずない。向かうのは、音楽やラジオの方である。夢のようだ、と飛びついた睡眠学習は、究極の「ながら」といえようが、朝になって青ざめるばかりで、残念ながら夢で終わった

 不得意だ、と分かっていながら、それでいて音楽を聞かなくなったかといえば、そうでもない。静かだと、それはそれで落ち着かないのである。脳科学的には、もっとすっきりした答えがあるに違いないが、これも依存症の一種なのかもしれない

 スマートフォンなどを使いながら車を走らせる「ながら運転」の罰則が強化された。違反点数と反則金が引き上げられ、懲役刑もより重くなった

 「ながら勉強」でしくじっても、報いは当人が受けるだけである。ところが「ながら運転」は不特定多数の人を巻き込んで、取り返しのつかない結果をもたらす。厳罰化も当然だろう

 重大事故は徳島県内でも発生している。なのに今でも「ながら」ドライバーは多い、と遺族は憤る。「大事故が起きても人ごとだ」と。自明である。「今日はわがこと」の自覚が必要だ。「自分だけは」などあり得ない。