「自衛隊派遣は有害無益」。その言葉に議場は騒然となった。自民党議員は色をなして取り消しを求めたが、構わず「憲法の枠内とかいっても、現地はジャパニーズアーミーが米軍に協力したとしか見ない。十数年かけて築いた信頼が崩れてしまう」と続けた

 米同時多発テロの翌月、自衛隊の海外派遣を審議する衆院特別委員会に参考人として呼ばれ、持論をぶった。アフガニスタンで銃撃され亡くなった医師の中村哲さんである

 1984年に、アフガンと国境を接するパキスタンの都市で活動を始めた。両国の山岳住民や難民の診療を続ける中、干ばつによるアフガンの砂漠化を目の当たりにした。栄養失調などで子どもが次々と死んでいく

 水さえあれば多くの命が救われ、農業ができる―。その思いが、医療から井戸掘り、さらに用水路建設へと活動を広げた。土木技術を独学。住民でも容易に補修できるよう、日本の古い工法の知恵も借りた

 1600本の井戸を掘り、長大な用水路を引いた。乾いた大地が緑の農地になって穀物が収穫されると、難民キャンプや避難先から村人が帰ってきた 危険な地域にあっても、「現地の人々の望むことを一緒に実現していく、そのことが私を守る」と動じない。「信頼が安全保障」を体現してきたのに。悲報にやりきれない思いがこみ上げる。