写真を拡大 紙テープが揺れる中、手を振る乗客=徳島港

 フェリーに郷愁を抱くのは、島育ちだからだろう。といっても、四国が「島」という意識を持っている人も少なくなっているのかもしれない。本州とは三つのルートで橋が架かった。徳島でも1998年に明石海峡大橋が開通し、船に乗ったことのない世代が増えている。

 徳島と関西を結ぶ唯一の航路として残っているのが、徳島港(徳島市)と和歌山港(和歌山市)を結ぶ南海フェリーである。明石海峡大橋開通前の1997年から運航されていた「つるぎ」が、15日に引退すると聞き、最終便に乗った。

乗客と見送る人たちは互いに手を振り続けた

 徳島港午前8時発。一般の乗客に加えて、大きなカメラを持った人が目立つ。この最終便で和歌山港に着くと、新造船「あい」に交代し、第1便として徳島港に向かう。最終便と第1便を往復で乗りに来ている人たちだ。

 船内では、乗客を前に阪田茂社長がお礼のあいさつをする。「つるぎ」の歩みを振り返りながら「22年間にわたり、ありがとうございました」と述べると、大きな拍手が湧いた。

 甲板では、岸壁で見送る人たちとつながれた色とりどりの紙テープが揺れていた。船がゆっくりと岸から離れていく。乗客と、見送る人たちは互いに手を振り続け、双方から声が飛ぶ。「ありがとう」。感傷的な気持ちに浸っていると、汽笛が二度、三度響いた。切なさがこみ上げてくる。なぜ汽笛は、こんなにも物悲しいのだろう。

 「つるぎ」は、97年7月に就航した。当時の南海フェリーは、小松島港と和歌山港を行き来していた。99年4月に徳島側の発着港を徳島港に移設し、現在の航路になった。南海フェリーによると、「つるぎ」は推定で約3万1500回往復し、距離にすると約390万㌔になるという。地球1周は約4万㌔のため、約100周分に相当する。

 甲板や船内でしきりにカメラで撮影していた男性(50)は、横浜市から訪れていた。船が好きで、全国各地に出掛けている。今回も「つるぎ」の最終便と「あい」の第1便を乗るためにやってきた。船の魅力を訪ねると、「個性的なんですよ。人と同じですよ」と返ってきた。私が少し理解できていなかったような顔をしていたためか、「言葉では難しいですね。理屈じゃないです」と続けた。

 波風に当たりながら動画を撮り続けていた男性(58)がいた。今は高松市に住んでいるが、徳島市沖洲地区で生まれ育った。南海フェリーもよく利用したと言い、「つるぎ」が引退の節目とあって乗り込んだ。「船はゆっくりできるのがいい」。全国では航路の廃止も相次ぐが、「これからも頑張ってほしいですね」とエールを送る。

 もちろん、通常の乗客も多く乗っていた。小さな子ども連れの母親は「車だと長時間乗っていると子どもは飽きるし、高速バスだと周囲に迷惑を掛けないか心配。船だと、ゆったりしているので結構利用します」と話す。

 和歌山県に用事があったという男性(44)は、家族4人で乗船した。明石海峡大橋経由も検討したが、休憩できるのでフェリーにしたそうだ。船内をはしゃぎ回っていた子どもたちは「楽しい」と笑顔を見せた。

 ふと、子どもの頃を思い出した。大阪に親戚がいたため、よく家族でフェリーに乗った。船内を“探検”したり、ゲームをしたり。陸が見え始めると、甲板に出た。港がどんどん近づいてくる光景が好きだった。

どんどん沖へ進み、小さくなっていく船体

 
写真を拡大 新旧の船が入れ替わる場面をカメラに収めようと大勢の人が詰め掛けた=和歌山港

 徳島港を出てから2時間がたち、和歌山港が見えてきた。港内で待っていたのは、新造船「あい」。「つるぎ」は乗客を降ろした後に離岸し、代わりに「あい」が着岸する。港内で新旧二つの船が入れ替わるとあって、岸壁には大勢の人がカメラを構えていた。

 全ての乗客が降り、「つるぎ」が離岸し始めた。船体の後方には、「ご乗船ありがとうございます」との文字が記されている。どんどん沖へ進み、小さくなっていく船体。幾度となく出港しては港に戻ってきたが、今回はもう帰ってこない。

 代わりに、どんどん船体が大きくなって着岸したのが「あい」だ。午前10時35分、初めての客を乗せて徳島港に出港。無事に入れ替えが行われ、就航した。

 徳島港では、和歌山港に向かう乗客が列をなしていた。「あい」は折り返して和歌山港に向かう。1回目の往復。これからどんな歴史を積み重ねていくのか。

 ところで、和歌山港を出た「つるぎ」はどこに行ったのだろう。南海フェリーによると、岡山県のドックに入った後、外国に売却される予定だという。日本の船はメンテナンスが行き届いており、日本で引退しても再利用されるケースが多い。売却時期は未定だが、いつか再び、どこかで運航されることになる。

 進学、就職、帰郷、旅立ち、別れ…。よく船は、人生の節目に重ね合わせられる。「つるぎ」の22年間も、多くの人生を運んできたのだろう。再び活躍する日を期待しつつ、ひとまず言葉を贈りたい。「お疲れ様でした。ありがとう」。(卓)