堀にすむ魚を描いた看板。海水魚ばかりだ=徳島市内

ボラ

チヌ

エイ

 徳島市の徳島中央公園の水堀には、ボラやチヌといった海水魚がすみ、ゆったりと泳ぐ姿が市民の心を和ませている。海や川の水環境に恵まれた中心市街地の成り立ちを象徴する光景だ。 

 公園の東側をコの字状に走る水堀は、堀川の通称で親しまれている。鷲の門そばに堀にすむ魚を描いたアクリル板が立つ。含まれているのはチヌ、コノシロ、ボラ、スズキ、キビレ、ウナギ、マハゼの7種。海水魚ばかりだ。徳島科学技術高校(徳島市)の生徒が2010~11年に現地調査を行い、設置した。堀をのぞくと、ボラが大きな体を揺らしている。

 市公園緑地課によると、堀の北側は助任川、南側は新町川と地下水路でつながっている。水は助任川から堀に流れ込み、かつての寺島川付近を通り、幸町の寺島排水機場から新町川に流れ出る。

 周辺一帯の川は汽水域で海水魚が多くすむ。堀の魚は助任川から来ているようだ。川との連絡口には柵があるので、稚魚が入り込み、成長して柵を抜けられなくなって、そのまますみ着くと考えられている。同課で目立った調査をしていないため、詳しいことは分かっていない。

 堀の水は底が見えるほど澄んでいる。ところが、1950~70年代は工場排水やごみの投棄による川の汚染の影響を大きく受けていた。徳島史学会編「とくしま歴史散歩」(1972年)は、当時の様子について「どぶ川のように濁って、魚の生息を拒否しようとしている」「かつて水清くマツやしだれ柳の姿を写したお堀も、いまでは悪臭の立ちこめる汚染地域となってしまった」と記している。当時、ボラの放流が行われたものの、すぐに死滅するありさまだったという。

 後にNPO法人新町川を守る会などの清掃活動が実を結び、川の環境改善が進むにつれて堀の水質が向上し、魚が戻ってきた。現在は市がシルバー人材センターに委託し、季節ごとに水草や落ち葉をさらう程度だ。

 徳島城は1586(天正14)年、蜂須賀家政によって築かれた。助任川や寺島川、新町川、福島川を外堀に見立てており、その内側に作られた堀川は幅15メートル程度で、他地域の城と比べると狭い部類に入る。1646(正保3)年に描かれた「阿波国徳島城之図」には堀の水深が「四尺五尺」(1・2~1・5メートル)とあり、現在よりやや水位が高かったようだ。

 かつては数寄屋橋のたもとから、表御殿庭園の池に堀の水が送られていた。池の満ち引きを楽しむため、岸辺の石積みは高めに組まれている。「池に海の魚がやって来て、殿様がめでていたとしたら面白いでしょうね」と徳島城博物館の根津寿夫館長は笑顔で話す。

 近世、城は防御と交通の便を兼ねた川や海のそばに築かれ、その周辺に城下町が形成されていった。近県では瀬戸内海に面して建つ高松城(香川県)や今治城(愛媛県)の堀にも海水魚がすむ。高松城では観光客向けにタイの餌やり体験が行われている。