近年まれな早さでつぼみを開き、咲き誇った県内のソメイヨシノは、もう落花盛んとなった。散り急ぐ花を目にすると、毎年決まって思い出す言葉がある。<桜と一緒に散ろうぜ>。いまから20年前の4月5日、徳島と大阪を結ぶフェリーの一室に船員たちが大書していた

 フェリーの名は「おとめ丸」。四半世紀にわたって徳島-阪神間の貨客輸送を支えた。その日、船員たちは明石海峡大橋の開通に伴い、職を失った

 明石架橋は私たちの生活を格段に便利にした。もはや大阪、神戸へはマイカーや高速バスで「ちょっと買い物に」の感覚。日帰り出張も容易になった

 翻って、産業面の恩恵には乏しい面がある。工場や企業の立地数は架橋前から伸びず、低迷したまま。県外からの消費獲得に成功しているとも見えない。明もあり、暗もあり

 あの日おとめ丸の一室で、開通式典はにぎわっているだろうかと問い掛けた記者に、船長は答えた。「明石海峡大橋は県民の夢。どうか無駄に終わらせないでほしい。自分たちが浮かばれないから」

 橋一本に職を奪われる。悔しく、怒りもあっただろうに船長は県民の夢と理解し、気丈だった。航路廃止時の船員は38人。20年を経て思う。再就職先で元気だろうか。勤め上げた人もいるだろう。何より、皆が浮かばれる状況になっているだろうか。