太平洋戦争終結から25年後の1970年といえば、初の大阪万博が開かれた年だ。戦後の焼け野原から高度経済成長期を経て、日本は大きく発展を遂げていた。

 阪神大震災から25年になる神戸市も、街は生まれ変わった。新たなビルや住宅が立ち並び、外見上の爪痕は見当たらない。

 兵庫県は「創造的復興」と名付け、震災復興を進めてきた。震災前の状態に戻すのではなく、戦後復興のように以前を上回る新しいまちづくりを追求し、被害総額約10兆円を上回る約16兆円を投じた。県全体の人口や主な経済指標は震災前を上回っている。

 しかし、神戸の復興は、地域や手法が違えば明暗が分かれることも示した。思うような成果が得られていない代表例が、神戸市長田区だろう。

 長田区にはかつて棟割り長屋や商店、ケミカルシューズ工場が並び、下町の風情があった。震災では建物密集地だったことが裏目に出て、火災が大きな被害をもたらした。

 市は直後から、JR新長田駅の南側一帯で2700億円規模の再開発事業に着手、商業ビルや中高層マンションなど約40棟を建設している。

 マンション入居は好調で、再開発区域内の人口は震災前より増えた。ところが、商業地としてのにぎわいは回復に程遠いという。

 古くからある大正筋商店街は、2階建てのビルが延びるアーケード街になった。しかし、約100軒あった商店のうち、再開したのは4割程度にとどまり、各階には空き店舗が目立つ。

 こうした事態に陥ったのは、なぜか。地元のまちづくり協議会の会長だった野村勝さん(81)は「結果的に行政に一方的に押し切られてしまった」と悔やむ。

 区画整理も再開発も、どんなものか住民がよく理解できず、意向を反映させることができなかったらしい。住民からは「過大開発による失敗」「復興災害」といった批判が聞かれる。

 「もし大地震で被害に遭っても、同じ轍を踏まないでほしい」という商店主・伊東正和さん(71)の助言を受け止めたい。

 長田区の教訓を、南海トラフ巨大地震が迫る本県はどう生かすか。「事前復興」という視点が大事だろう。

 災害が起きていない段階から住民や自治体職員が一緒に地域を歩き、被災後のまちづくりの将来像を話し合う。地道に活動を重ねておけば、住民の意向に沿った復興の道が開けるのではないか。

 徳島県は昨年末、事前復興の要点などを盛り込んだ「県復興指針」を定め、市町村に向けて計画づくりの呼び掛けを強化している。

 津波被害を想定して高台移転構想を検討している美波町のように、既に活動を先行させている自治体もある。

 南海トラフ巨大地震の発生をにらみ、事前復興計画づくりの即時着手が求められる。