ソーセージの製法を日本人に教えてくれたのは、第1次世界大戦で日本軍の捕虜となった5人のドイツ職人だという。千葉県にあった習志野俘虜収容所にまつわる日独交流の逸話である

 鳴門市の板東俘虜収容所と同様、約千人のドイツ人が暮らした。1920年1月、ベルサイユ条約の発効を受け、全員が自由の身に。習志野市は「解放100周年」を記念してゆかりの品や写真を展示、26日には講演会を催す

 市民へのキャッチフレーズは「大正8年の青きドナウ」。その年の6月に開かれた演奏会のプログラムには、ワルツの名曲「美しく青きドナウ」があった。写真に収まるオーケストラの面々は、とても誇らしげだ

 劇団を結成し、映画館を造り、サッカーや体育祭を楽しんだ。住民には、船の模型をガラス瓶に入れた「ボトルシップ」が贈られ、友情の証しとなった

 初代所長は西郷隆盛の息子、西郷寅太郎だ。「賊軍」を率いた父のために不遇を強いられたが、ドイツ留学を経て軍人として復権した。世界を席巻した「スペイン風邪」に倒れ、ドイツ兵25人と共に命を落とした

 収容者の中には、山梨県で醸造術を伝えた「日本のワインの父」ハインリッヒ・ハムがいた。解放後も帰国せず、ソーセージ作りの指導を続けた技師もいた。彼らの面影が日本人の暮らしに息づいている。