野見宿禰(のみのすくね)を始祖とする古代以来の歴史の中で、相撲はたびたび様式を変えてきた。女人禁制の「土俵」が登場するのは、歴史の長さからすると最近のことだ

 それまでは「人方屋」(ひとかたや)という力士が取り囲む人垣の中でとっていた。そこへ押し倒すと勝ちとなる。だが、負傷者が続出し、けんかの種ともなった。これでは興行にならない、と俵に置き換えたのが江戸時代

 女人禁制は大相撲の土俵に限らない。明治時代までは観戦すら認めていなかった。西郷隆盛らの助力で禁止令は回避したものの、文明開化に反する「野蛮な裸踊り」と政府に目を付けられ、人気は一時衰えた。その回復策もあって女性に門戸を開いたのである。長年のしきたりと言いながら、ご都合主義的なところがある

 「女性は土俵から下りてください」との館内放送が批判の的となっている。京都府舞鶴市での春巡業で、女性はあいさつ中に倒れた市長に、応急処置を施している最中だった

 普通の感覚では、どうかしている。ただ「しきたり」とは本来、不合理なものである。行司は素直に従ったまでで、「動転して」呼び掛けたとする日本相撲協会の八角理事長の釈明はむしろ不自然に聞こえる

 「不適切な対応でした」と謝罪するのであれば、その程度の覚悟の「しきたり」は、この際、取っ払ってしまった方がいい。