「ふるさと美郷」を合唱する種野小の児童ら。写真右端でピアノを弾くのが鹿児島さん=吉野川市美郷川俣の同校

新年度を迎え、各学校が入学生の受け入れや進級の準備に追われる一方、子どもの姿が見られない学校がある。徳島県内では7小中学校が昨年度末、休閉校になった。このうち吉野川市美郷川俣の種野小学校は閉校し、かつて8小中学校があった旧美郷村から全ての学校がなくなった。種野小が誕生したのは1881(明治14)年。創立137年目にやってきた「最後の一日」を取材した。

閉校式があった3月23日、在校生17人をはじめ、同時に閉園する種野幼稚園の園児、地元住民や卒業生ら約100人が詰め掛けた。

市教育委員会を代表して教育委員の鹿児島康江さん(64)が式辞を述べた後、来賓としてあいさつした旧美郷村長の河野利英市議(65)は1980年に起こった火災に触れた。「校舎焼失に遭いながらも、あらゆる方々の団結によりひとときも教育活動を絶やすことなく、歴史の足跡を刻んできた」。火災翌日から美郷中学校の教室を間借りするなどして授業を続けた。

児童の活動をまとめたビデオが流された後、一人一人がリレー形式で思い出を発表する。そして締めくくる―。「いよいよお別れの時がきました。私たちの心の古里・種野小学校、忘れないよ、さようなら」「最後に今の思いを込めて全員で『ふるさと美郷』を合唱します。皆さんも一緒に歌いましょう」

会場からはすすり泣く声が聞こえる中、ピアノの前奏が始まり、参加者全員が立ち上がる。旧美郷村時代から子どもたちや住民が歌い継いできたという。

誕生は約30年前にさかのぼる。美郷中3年の担任教員が生徒たちからこんな話を聞いた。「野球の試合に行った時、へき地の学校、山の子と言われ、つらかった」。教員は「美郷で生まれ育ったことを、誇りにしてほしい」と考え、歌作りを提案。生徒たちが詞を作って口ずさみ、教員が楽譜にした。

自然豊かな情景を盛り込み、ゆったりとした曲調。完成した歌は村内の小中学校が集う文化祭で披露された。以来、中学校では校歌と並んで親しまれ、2010年度に休校した後も小学校の行事などで歌われてきた。

歌作りを呼び掛けた担任教員が、閉校式に教育委員として出席していた鹿児島さんだった。鹿児島さんは来賓席を立ち、自らピアノを弾いた。「今も歌われていることに感動した。30年前を思い出した」と感慨深げに語り「新たな学校に行っても美郷に誇りを持って頑張ってほしい」と話した。

閉校式後のイベントでは、徳島文理大の和太鼓部「億」が出演し会場を盛り上げた。メンバーの一人、新居颯輝(さつき)さん(20)が種野小の卒業生で「お世話になった学校や地域の人たちに恩返ししたかった」と申し出た。学年を超えて仲が良く地域との関わりも深かった小学校時代を振り返り「人のつながりの大切さを自然と学んだように思う」。

「もう学校に入れないのかなと思うと、どうしても来たかった」と駆け付けたのは、四国中央市の会社員迎(むかい)悠太さん(21)。迎さんは種野小卒業後、既に休校が決まっていた美郷中に進学。多くの同級生が統合される山川中に進む中、1年間だけ通った。この日も古里へと足が向かった。「美郷が好きなんでしょうね」と照れくさそうに語った。

全員で記念写真を撮った後、児童たちが下校した。「先生、さよなら」。いつもと変わらない光景も、「あした」はない。

年度が変わった4月2日、再び種野小を訪ねた。閉校式の時はつぼみだった桜は、散り始めていた。校舎は鍵がかかり、ひっそりとしている。明治、大正、昭和、平成の時代を見つめ続けてきた小学校がまた一つ、歴史の幕を閉じた。

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