写真を拡大 【写真説明】地方巡業として開催された徳島場所で、水戸泉を相手に力強い相撲を見せる時津洋㊧=1998年4月、徳島市のアスティとくしま

  大相撲初場所は、記録にも記憶にも残る場所になった。幕内最下位の西前頭17枚目の徳勝龍が初優勝を飾った。幕内最下位の幕尻力士の優勝は2人目。33歳での初優勝は、年6場所制となった1958年以降では3番目の年長だった。優勝後のインタビューも人間味があふれていた。

 優勝は、西前頭4枚目の正代との争いになった。土俵とともにテレビでよく映し出されていたのが、それぞれの地元だった。徳勝龍は奈良、正代は熊本の出身。大相撲は高校野球のように、古里との関係が強い。優勝が近づくと、パブリックビューイングなどが企画され、近年初優勝した御嶽海の長野、朝乃山の富山など盛り上がりはすごかった。

 徳島県出身力士は、現在4人。徳島新聞のスポーツ面の片隅に「郷土出身力士星取表」のコーナーがある。初場所の番付は広瀬(北島町出身)、太田(石井町出身)、藍(藍住町出身)が序二段、藤乃波(石井町出身)が序の口だった。幕内力士となれば、95年9月場所の時津洋(脇町=現美馬市=出身)以来、出ていない。

 徳島新聞の過去記事などによると、昭和以降で徳島県出身者は5人が幕内に上がったようだ。このうち、多くの人の記憶に残るのが時津洋だろう。92年5月場所で初入幕を果たし、最高位は93年7月場所の東前頭東4枚目だった。幕内在位は19場所で、「若貴ブーム」にもなった貴乃花や若乃花が活躍していた時代。95年11月場所で十両に落ちてからは再入幕を果たせず、幕下の99年9月場所を最後に引退した。

 時津洋に関する過去記事を振り返っていたら、一つのインタビュー記事が目に留まった。現役時代ではなく、引退後に東京でちゃんこ店を経営していた40歳の時だ。県外人に聞くシリーズ「古里を語る」で、2009年11月に掲載されている。脇町小学校、脇町中学校を卒業後、角界入りした時津洋。入門時の様子や出身地の脇町への思いなどがつづられており、少し紹介したい。

 上京した日のことは、よく覚えています。雪がちらちら舞う寒い日でね。徳島空港まで両親が送ってくれて、初めて一人で飛行機に乗った。15歳だから、やはりつらく、心細かった。東京に着いたらビルの多さに圧倒され、駅では人に酔ってしまいました。

 時津風部屋では初めての共同生活の上に、関取や兄弟子の世話をしなくてはいけなかった。本場所や地方巡業で全国を飛び回っていて、辞めようと考えたこともありました。でも、中学校で大きな壮行会を開いてくれたので帰れないんですね。父も心配だったのか、朝げいこを見にきたり、九州場所の体育館の入り口で待っていたりしてくれました。 

 今では中卒の力士は少なくなったが、15歳の少年が田舎から出た心境は、やはり寂しかったのだろう。それを乗り越えさせてくれたのが地元の期待だったのか。さらに、幕内時代を振り返りながら徳島からの励ましの手紙が力になったと話し、最後にこう結んでいる。

 40歳になって少し心に余裕ができたのか、脇町への愛着が強くなってきました。漠然とした表現だけど、町のにおいが好きなんです。ただ、帰省すると少し元気がなくなっているように感じます。うだつの町並みや吉野川などいいところがいっぱいあるから、もっと人が移り住んでもらいたいですね。

 先の話ですが、脇町に戻りたいなあという気持ちはあります。妻も気に入ってくれて、静かな環境で子育てできたらとも思います。私にとって古里は帰る場所であり、ほんわかと温かいところであり続けてほしいものです。

 将来的に帰郷を願っていた時津洋は、その夢を果たせず帰らぬ人になる。昨年2月、49歳の若さで亡くなった。

 角界には古くから「江戸の大関より、土地の三段目」という言葉があるそうだ。それだけ地元力士の応援には熱がこもるのだろう。大相撲は郷土色が強く、今でも取り組み前の場内アナウンスでは出身地が紹介される。現役の徳島県出身力士は、三段目より番付がさらに下の序二段と序の口であるが、やはり気になるのは「土地の序二段、序の口」である。(卓)